Redundanz

僕の言葉は、人と話をするためにあるんじゃない。

痛くない頭痛について。

 朝9時からサークルだったので、7時半には起きる予定だったのだけど、失敗しました。頭がぐっすり寝ている時に起きようとしてしまったらしくて、正常な覚醒に失敗した模様。以降ずっと頭のズキズキがついて回ることになります。QOL半減です。結局遅刻したし。
 この感覚、実家にいて家族(たいていは母)に叩き起こされていたときは良く感じていたものなのですけど、最近はご無沙汰していたので、少々懐かしい。一人暮らしをしていると、起きないときは起きないわけで、つまり自然な覚醒以外の覚醒が行われる機会がそれほど無いのです。代償として人間社会のもろもろに遅刻することになります。どちらが良いかは考えよう。痛いの嫌いだし、まあね。
 ああ、痛みで思い出したのですけど、「頭痛が痛い」が言葉として気持ち悪いの、単に痛みという語が反復されているからではなく痛くない頭痛というものがそもそもあり得ないからだという話を聞いて、妙に納得しました。痛み、この痛み。そういえばウィトゲンシュタイン、虫歯多かったのかな、とか。歯痛の話ばっかり用いるし。
 閑話休題
 ええと、朝起きて、それから準備してサークルへ。音取れてないとこが幾つかあるのを発見しました。定期演奏会12月1日なので、時間無いです。まずい。あと、歌詞。全然覚えられません。歌っているうちに覚える曲とそうでないものがあって、この違いなんなのかなあ。受け皿たる僕の性質である公算が高いわけですけども。
 そういえば、合唱が、構成員全てが完璧に歌えているわけでないのにそれっぽく聞こえるのは、各構成員の発する音の音階がある種の分布に従っている時とか、そういうのあるのかなと考えていたら、名指しで注意受けました。あう。ふと考え事を始めると周りが見えなくなるの、良くないなあとは思います。そういう自分の性質は、特に嫌いではないのですけど、もしかして車の免許取って乗ったりしたら、事故起こすのではないかとか。免許取れない可能性もありますけども。それ以前の話として、普通に(こういう時つい言ってしまう普通にってなんだ)大怪我とかしそうだし。僕、結構電柱にぶつかるんだよねえ、という話を誰かにしたら笑われたので、普通の人はあまり電柱とか看板とか街路樹とかにぶつかったりしない、らしいです。すごい。まあ、かのノイマン氏も考え事をしていて車で木にぶつかったりしていたらしいので。将来僕の伝記が書かれる時のためにも、逸話には事欠かない人物でありたいですね。(ふへへ)

 家に帰っても頭の痛みが取れなかったので、寝ました。起きました。夜でした。今もあまり眠くないので、本でも読もうかと思います。ゲーデルと20世紀の論理学、途中で放っているし。にゃんにゃん。