Redundanz

僕の言葉は、人と話をするためにあるんじゃない。

ねむねむにゃんこ11月14日

 僕だけは僕の味方でありたいと思うのに、僕の中にある他者が僕を憐れむのです。きっと僕は、人と触れ合うべきではないのだ。そうすると、他者の視線がどうしても見えてしまうから。


 普通の、こういうものが普通として僕の生活に組み込まれてくれれば良いのになあ、と思われるような一日でした。安定して落ち込んだ気分。僕はお調子者なので、あまりに気分が優れているのはかえって良くないのです。反動はきっとやってくるから。あの苦しみを味わうくらいなら、楽しくなくっても良い。お調子者なのでそんなこと忘れて、すぐ調子に乗るのだけれど。はあ。
 物理実験、そこそこ楽しいです。アレな人に思われるかもだけど、口頭試問が特に。(僕は予習ほとんどしないから)質問に応えるために、時々思い切り考えこまなくてはならなくて、その凝縮された浮遊感が好きだったりします。相方の迷惑になるから、本当はちゃんと実験の物理的背景とか調べてゆかねばならないのですが。
 
 ぬんなか。
 僕の知りたいこと、それを問うための疑問文のあり方が、よくわからなくなっています。5W1Hって、なんか不思議よねえ、とか。考える気力と時間がないから明日また考えようかな。
 だが、覚えていられるのかね。
 そのための日記です。

 11月17日、観にゆけるかしらん。