Redundanz

僕の言葉は、人と話をするためにあるんじゃない。

面白いこと。

 なんか面白いことやりたいなあ欲が高まっています。世界をちょっとだけ素敵な方向へ傾けるイベント。考えてはみるのだけど、良いアイディアが浮かばない。まあそんな簡単に人の脳髄から面白いことが飛び出してくるのなら僕以外の人達がとっくの昔に面白おかしい世界を作っているだろうし、それは多分普遍的に過ぎて面白くないことに成り下がっているだろうから、面白さを捻り出すにはいつだって、普通より余分にエネルギィが必要だ。誰がその余剰なエネルギィを捻出するかというのは常に世の関心事であり、たまには僕がその役割を果たしたって誰も文句は言うまい。それがつまらなくないならば。
 面白いとはどういうことだろう。物語に関わる実感を得ることかしら、とか。もしくは、新しい土台でもう一度自分のキャラクタを構築し直すこと、謎解きみたいに人と競い、また人に知られていない自分を表現すること、成長を実感することもそうかもしれない。たくさんの面白さが存在して、その多様さは分析的な接近を阻んでいる。そこから単純に切り出してきただけでは、つまらないものが出来上がるだけだろうと思います。
 ある文章に含まれる一文が全て、そこにあるべくしてあるような文章。一体形成された物語の完全性。そんな感じのものが作れたら良いな、とかとか。

 視野が狭くなっている気がします。頭が悪くなってゆくのだけど、悪くなってゆく頭ではそれがわからない。問題を解決しようとしてみて初めて自分の弱体化に気付くのだけども、時は既に遅く、復旧はほぼ不可能になっている。どうしたものか。