Redundanz

僕の言葉は、人と話をするためにあるんじゃない。

リリンの生み出した文化の極みだよ。

 今日はコール・メロディオンの演奏会を聞きにゆきました。合唱団に所属していると、他大学の合唱をいろいろ聞く機会があって楽しいです。そりゃあプロの演奏などには及ばないかもしれないけれど、生の音楽はやっぱり良い。渋谷から山手線で品川へ行き、そこから京浜東北線で蒲田へ。(遠い)
 蒲田という地名、どこかで聞いたことがある気がして記憶を掘り起こしてみると、たしか踊る大捜査線で蒲田という地名が出て来ていました。(今調べてみたら確かに出ていた)あの頃は東京なんて遠い遠い世界の話だったのに、今ではそこが生活圏になっていて、なんか可笑しいです。駅を降りると、目指すコンサートホールはすぐ近くにありました。(方向音痴にはありがたい)ちょうど開場する頃に大きな地震が来て驚いたのですが、コンサート自体に影響はなく、そのまま開演へ。
 第一ステージは、木下牧子の曲集でした。僕は妹が高校で歌っていたはじまりを聞いて感動し、この人の名前を知っていたのですが、最近自分の所属する団でも彼女の曲集を歌う機会に恵まれ、僕にとっては馴染みの深い作曲家です。今回聞いたものはどれもシンプルな曲調で、その分ゆったり聴くことが出来ました。相変わらず、声と歌詞を、巧みに楽器として使う方だなと思います。(はじめオーケストラの作曲を専門としていたからか)
 第二ステージは、ブラームスドイツ・レクイエム。オーケストラ伴奏付きです。(羨ましい)聞いていて、素直に凄いなあと思いました。演奏も良かったし、そもそもの曲が格好良い。ウィトゲンシュタインブラームスの音楽を愛していたのよなあとか(ブラームス自身、ウィトゲンシュタイン家によく来ていたらしい)、歌詞として使われている聖書の一節の、文章としての美しさ(聖書の神を信じているわけではないといえ、それらは文単体として本当に素晴らしいものだと思います(少なくとも僕には書けない))にほーっとなりながら聞いていました。それから、この曲のいろんな楽団の演奏を聞いてみたくなったり。CDでも探してみようかしらん。
 総評として、僕はとても楽しみました。小学生の頃なら、音の羅列にしか聞こえなかっただろうに、不思議なものです。音楽というのは、その人のパターン解析の能力への挑戦であるような側面があって、それに僕は勝てるようになったということなのでしょう。今まで聞いてきた演奏も、今聞いたらまた違って聞こえるのかなあ、とか。記憶の中にあるのは、その時点での印象の裡に再構成されたものばかりだから。

 不謹慎という概念、本質的には自戒もしくは身内を諌めるためにのみ使われるべきで、他者を殴るために使うのは少し違うよね、と思います。人間の自省的な性質により生み出された諸々の概念が武器に転用されてるのを見ると、溜息が出る。常識は、特に考えずに従っても問題を起こしにくい規則のセットであるとはいえ、全てがそうであるわけではないのだ。

 頭が痛いです。薬飲んで寝ます。