Redundanz

僕の言葉は、人と話をするためにあるんじゃない。

着る毛布

 ついに着る毛布などという圧倒的文明の利器を買ってしまいました。割と前から気になっていたのだけど、最近地味に売れているらしいし、今ならこれ買っても怠惰さを誹られることはないだろうと、購入を決意。で、着てみた感想としては、毛布というよりは厚めの上着みたいな印象。簡易ダッフルコート?というのが正しいのかわかりませんが、まあ上着着れば良いのではという話にならないでもない。商品名として毛布とついているぶん、部屋できることへの精神的抵抗が薄れるので、そういう意味ではなかなか良いかも知れません。生地も柔らかいし。
 それと、毛布を着てはいるのだけど、作業はするのだと世界に表明すること。怠惰さと勤勉さの両立。製作者の意図はその辺にあるのではないでしょうか。知らないけどさ。
 ま、そこそこ良い感じです。暖かいし、お風呂上りなんかに重宝しそうな。今も着ながらキーをタイプしています。
 このまま着る毛布が世間に浸透していって、いつの間にやら通常の毛布のほうが掛ける毛布として区別されるようになる。そのまま掛ける毛布は消えてゆき、千年ほど後になって、古典文化復興の名のもとに、掛けて使える毛布がもう一度陽の目を浴びるようになる。この一連の運動は毛布ルネッサンスと呼ばれている。

 帰省が早いせいで、いろんな仕事を早めに片付けねばなりません。大変だ大変だ。なんとかなるのかしら。