Redundanz

僕の言葉は、人と話をするためにあるんじゃない。

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 同級生∧友人のM氏N氏と昼ごはんを食べました。イーグルに変わる定食屋を探しましょうという名目で集まったのだけど、実質はただのお食事会。くだらない冗句を沢山言った気がします。超麺理論の話、本当にどうでも良かった。
 チキンカツと生姜焼きが美味しかったです。そういえば最近鳥ばかり食べている気がします。鶏肉料理は全体として安い傾向があるからなのだけど、定食として見た場合その値段の差は肉の材料費の差と比べてどうなのか、もしかして僕は損しているのではとか考えて、そもそも肉を一元的に捉え過ぎで損得云々意味を持たないだろうと我に返る。食事を生きるための手続きと認識しているきらいがあって、豊かではないなと思います。美味しいものは好きなのだけど。
 50音凄いよねというはなしをしました。50音に限定する必要はないのだけど、音と記号の対応があって、その音一つ一つの波形が違う(これはバイオリンとフルートの音色の違いに匹敵するはずなのだ)こと。アとイの中間はあり得るのか、あり得ないならどうして離散的なのか。それらが統合される脳の仕組みがあるだろう、ならば"本当の"音はどのように聞こえているのか(誰にとって?)というような。僕にとってこれは赤が赤いことと同様に驚異的な物事で、本当に不思議だと思います。(不思議という語を当てはめるのは適当でない気もする。それはある意味自明であるから。)僕の見ていない時の世界を見てみたいと言えば意図する気持ち悪さは理解してもらえるかもしれません。なかなか伝えづらかったのだけど、両氏はなんとなくわかってくれたようで、嬉しい。人に物を伝えるのが苦手になってゆくのを感じます。面倒な考え事をするための言葉が必要とされている。(数学者が幸せそうに見えるの、そのへんに理由があったりするのかな)
 幸せとは何かとか、大学生らしい話しなんかもして、それから僕は髪を切りに新宿へ。駅で沙汰止ミ氏に会ったので少々お話しました。相変わらずで楽しい。

 髪を切りました。今回のヒト、あまり上手でなかった。全体像考えずに細部にこだわり始める性格のようで、僕の絵みたいだとか思ったり思わなかったり。やはり指名すべきなんですかね。(でもそれは怖い(指名て)) まあ重たかった頭がコンパクトになったので良いです。本来の目的がそれであったのだし。

 その後バイト。最近数学オリンピックの予選があったらしく、その問題が大量に送られてきました。流石というべきか、後半の問題は難しくて上手く解けなかった。巧い切り口があるはずなのだけど、それが見抜けなくて計算の泥沼に嵌ります。もしかしてそれが正攻法であった可能性はある。何にせよ、今日は世界救えませんでした。時給変わらないしどうでも良いという向きもあるのだが、解けない問題があるのは悔しい。

 ほどけーないー、もんだいなどー♪

 長門さん、もしかして全ての定理を公理とする理論で考えてたりするの。