Redundanz

僕の言葉は、人と話をするためにあるんじゃない。

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 ひたすらやる気の出ない一日。やはり十分な睡眠は不可欠だなと思います。消えてしまいたくなるのは、いつだって眠くないけど眠り足りていないときなのだ。

 保健センタにゆきました。小さい頃のエピソードを聞かれて、昔を思い出しながらぽつぽつと自分語りをしていると、いくつか自分の性質を体現するエピソードを思い出して、少しだけやりようが見えてきた気がします。小学4年くらいのころ、プログラミングがしてみたくて、使いもしない商品データベースを作り込んでいた時期があるのだけど、(ひまわり使いでした)それはその時の僕の知識で可能だったからなのよね、とか。出来た気になればそれで十分であり、その程度にまで到達することを目的とした学習の仕方というものを、習い性にしてしまっているのだと思います。絵にせよ、文章にせよ、僕には表現したいものなんてちっとも無い。それが、その先へ進む道を塞ぐ、大きな壁になっているのでしょう。なんとかしたいです。なんとかしなきゃ。

 最近、人間の頭のなかで為されている情報の処理を解釈するための意味の体系みたいなものがどこから湧いて出てくるのか、みたいなことを考えていたのだけど、端からそんなものは必要なくて、思考や想像というものが、外界から入力される情報と区別できないものであればそれで十分なのだ、ということにようやく思い至りました。誰でも一度は考える、自意識の再帰性みたいなものと似た話しなのだけど、僕としては少し、頭のなかの靄がとれた気がします。なんて頭の悪いことを考えていたのだろう。しかしまあ僕の独我論と相反するものではないし、もう少し何か考えられることはあるかな、とか。そんなことより、試験勉強をせねばならないのだけども。