Redundanz

僕の言葉は、人と話をするためにあるんじゃない。

0208

 期末試験。
 まず、図形科学は上々の出来でした。前日の深夜、それまでほとんど手を付けていなかった参考書を片手に、踊り狂いながら作図しまくった結果(机の上が図の書かれた無地ルーズリーフで埋まってゆく心地よさと言ったら!)、試験の方もさらりと終わり、途中退出可能の合図とともに悠々と引き上げました。(小嘘)
 それで、認知脳科学に続き、図形科学も上手くいっているのだから、線形代数だってなんとかなるに違いないと高をくくっていたのだけど(割と沢山勉強したというのもあります)、配られた試験問題を眺めてもうダメだとなりました。難しい。終わってみると周りも同様の感想らしく、あまりに出席の悪かった授業に腹を立てた教官が、無茶苦茶に難易度を上げたのだという憶測がまことしやかに囁かれていたのですが、まあそれだけなら良いのです。周りだって出来ていないのだから。
 未知の問題に対して、全く頭が回らなかったこと、定義を見なおせば推測できたはずの瑣末な不明に打ち倒されたこと、それがとてもショックでした。
 思い返せば、僕は試験中にものを考えることが特に苦手なように思います。時間の制限の中で頭を働かせることが本当に出来ないのです。出来ることといえば、知っていることを繰り返すのみであり、見たことのない問いの前にはただ時間が過ぎゆくのを眺めながら立ち尽くすしか無い。平常時ならそうではないはずなのに。どうしてなのかよくわかりません。 と言い条、前二つの試験は人並みには出来ており。
 あまり意気込むのが良くないのかなあと思います。高校受験の時だって大学受験の時だって、数学ができねばならぬと意気込んだ割に数学の点は大して高くなく、救いとなったのはおざなりに勉強していた他教科でした。単に数学の才能がない可能性も十分にある。
 何にせよ抽象的な数式を、何かしら具体的なイメージと対応付けて展開する能力は養わねばと思います。数式を見て、数式があるなあと思うのみでは、なんにもならない。教科書と試験問題の表記の違いに足を取られるなんて馬鹿のやることだし、僕は馬鹿そのものでした。
 考えなきゃ。アルゴリズミックな問題解決を手癖でやり続けるようでは限界がある。

 今夜は振動波動論、ドイツ語辺りを勉強しましょう。そういえばドイツ語、なんか短文を覚えとかなきゃらしいのだけど、どこなんですかね。