Redundanz

僕の言葉は、人と話をするためにあるんじゃない。

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 試験の出来は単調減少しております。非常に良くないしつらい、かなしい。もう少し早めに勉強を始めていればと後悔しないでもないのだけど、まあ、問題はそんなことではなくて。せっかく少しばかり事態が好転していたように思われたのにな、やはり僕はダメです。たぶん、勉強量以前に頭の出来が少々悪い。

 小さい頃、僕は遊びや集団のルールがちっともわからない人間でした。カードゲームはいくら友達がやるところを見ても理解できなかったし、体育では野球やバスケットボールのルールがわからずあたふたしていました。規則性を見つけるのはそんなに苦手ではないはずなのに、人のすることについてはどうしてもパターンが見えて来なかったのです。
 最近、野球のルールについて人から説明されて、その内容をほんの少し納得しました。僕は、アウトというのが、チームそのものについて加算されるダメージのように考えていたのですが、どちらかと言うと、アウトになるのは選手であり、アウトになった選手を3人出すとチェンジになる、ようです。(知らなかった。) それと、出塁している人がベースを離れないのは、ルールとして制限されているからではなくて、離れるとアウトになってしまうからという(これは僕でも知っている)ことを考慮しての、選手の判断であること。そこを知ってようやく、犠打や盗塁の仕組みがわかったのでした。
 僕はおそらく、そこで為されている物事に対して、個人の判断というものをちっとも考慮していないのだと思います。(実際していない) 人々がそうするのはルール故であって、戦況判断や個人の好みでそうしている、なんてことには全く考えが及んでいなかったのです。だから、逆にそれらをルールに組み込もうとして、そのばらつき、例外の処理に困憊してしまう。たぶんそういうことだったのだろうと思います。明文化されたルールにならなんとか対応できることも、理由はつく。細部に目を取られすぎるのだ。

 これらの僕の悪癖の影響は、問題を解く際にもあらわれていて、まず出題者の意図がちっとも読めないし、そこで示されていることが、どういった意図で書かれているのか分からない。それは問題文から何も読み取れていないのではなくて、逆にあらゆる部分に意味を求めてしまって、どこから手をつけて良いのか、どういう誘導がなされているの気付けないのです。どこかの予備校風に言えば、本質を見抜く力がまったく無い。だから抽象化が苦手で(抽象概念を扱う事自体は苦手ではないのだけど)、教科書を読みながらそれが示そうとしている方法をその通りに吸収できない。
 僕は自閉症なのかなあと思います。症状の幾つかが当てはまっているように感じるし、バーナム効果にすぎない気もする。

 解決策として、練習問題を沢山解く、というのがあるのは知っているのだけど、そんな時間はあまりないしそもそもやる気が無い。僕は学問に向いていないし、学問は僕を向いていない、そんな風に考えてしまいます。(学問だけでなく、大抵のことがそうかもしれない)
 もっと好きな事を好きにやってゆけたら。そうすれば少しは役に立ったかもしれない自閉的傾向も、やりたいことも目指すものもない僕にとっては無用の長物で、あったかもしれない才能はどんどん埃を被って腐ってゆきます。
 20歳、子供の頃は、いろんなことが出来るようなっているだろうと思っていました。だけど実際は、中学で身につけた方法の延長を彷徨っている。せめて僕が今の倍賢ければ、何も望めない僕だって、もう少し手癖で生きてゆけていたのだろうか、そんなことばかり考えています。
 もっと堕落したいがために天才でありたかった。本物の天才が、普段の努力と真摯さの末にその力を手に入れていることをよく知った今でさえ、こんな事を言い続けている。変わるんじゃなかったのか僕は。
 言い訳ばかり書いているのは自覚しています。もっとちゃんとしなきゃ。

 とりあえず試験は明日で最後。気を引き締めて頑張りましょう。もしかしてドイツ語とはも少しの付き合いになるかもしれない。