Redundanz

僕の言葉は、人と話をするためにあるんじゃない。

およそπ/10

 サークルにゆきました。歌詞がめちゃめちゃな曲。これに意味を与えるような言語が存在するのかしら、とか考えながら歌いました。独特の旋律で楽しい。

 生成文法の企てをちまちま読み進めています。チョムスキーが非常に頭が良いことはなんとなくわかります。説明という概念に付随する本質的な問題など、言語学を超えて様々な内容について語られており、そうこれが言いたかったのだよ、とか思いながら読んでいました。
 一つ一つの言葉を吟味しながら読み進めてゆくと、とても時間がかかるのですが、自分は今理解しかかっているのだ、という浮遊感を味わいます。それを、言葉で言い換えたり、具体的な像で表現しながら考えてゆくと、腑に落ちる瞬間があるのです。すると、これは誤訳に違いないとか、質問者はこの質問においてチョムスキーの解答を理解していないから、その次の質問が少しずれたものになっている(仕方ないこととは思います(そもそも質問は予め用意されているのだし))、というようなことが見えてきて、とても楽しいです。時々、これはおそらく本質を突いているよう感じられるのだけど、今の僕には理解できない文もあって、そういうのはノートに貯めてゆくことにしています。いつか理解できると良いです。

 明日はサークルのビラの印刷にゆかねばなりません。原本を印刷しておかなきゃ。