Redundanz

僕の言葉は、人と話をするためにあるんじゃない。

0323

 飛行機で実家に帰りました。(ああ、宮崎空港から家まではバスと徒歩ですね。) 飛行機の中で本を読むことの困難は、割と人類に一般的なもののようなのですけど、いったい何故なのだろうと思います。日常的に飛行機に乗る人もそうなのかしらん。「飛行機の中で読むに限る」*1の出版が急がれますね。

 生成文法の企てを読み終えました。途中から、必要となる言語学の知識が爆発的に増大してしまって、意味を正しく汲むことが出来なくなってしまったのですが、まあそれを抜きにしても良い読書体験だったように思います。科学とはいったい何なのかとか、ある理論が説明的妥当性を備えていることの条件とか、思想というものの意義とか、果ては科学史についてとか、そういう(チョムスキー流の)科学の方法論が展開されていて、そうそうこれが言いたかったのだよとか、へーとか言いながら読んでいました。本筋の言語の話について余り深く理解できなかったのは残念なので、もう少しこの分野を勉強してみようと思います。
 
 人工無脳を作りたくなって、文法学習のアルゴリズムを色々と調べていたら、エルマンネット*2というものを知りました。このニューラルネットワークは、知識の欠乏とか否定証拠の欠如問題を回避して文法を習得可能らしく、つまり普遍文法が不必要である可能性も出てくるわけで、つい直前に生成文法を齧っていた身としては何だこれという気分になります。しかしまあ、言語への理解が着々と進んでいることが実感されるのは素直にワクワクするし、人類もっと頑張れと声援を送りたくもなります。学問の道を半ば諦めつつある僕にとっては、特に。
 そうは言いつつ、いくつか試したいことも出てきたので、プログラムの勉強も兼ねて何か作ってみようかなと思います。(話せる必要はないのです。話したいことが与えられた時に、それを言葉に翻案できるなら。)