Redundanz

僕の言葉は、人と話をするためにあるんじゃない。

0401

 それ自体が根源的であるが故に、高次の意識作用については、幸福は副次的なものとしてしかあり得ないのです。例えば、この問題が解けて嬉しい、という風に。

 今日は理系新入生の諸手続きの日だったので、僕もかの悪しきテント列の一歯車として新入生の大学生活における初期条件に介入してきました。あの手この手で自サークルのテントに誘導するわけですが、最適解の無い選択についてのあらゆる提言は屁理屈詭弁の様相を必然的に呈すのであり、あちこちで聞かれる勧誘の文句は筋が通っていなかったり強引なこじつけであったり新入生の発現を無視していたりで、それはもう滅茶苦茶でした。それはそれで面白かったのですが。
 
 「歌はちょっと興味ないですね」「歌は君に興味がある!」

 手続きに時間がかかったらしく、最後の新入生が一号館から出てきたのは18時頃で(同情を禁じ得ない)、それにつられて僕らの活動時間も伸び、7時過ぎまで勧誘を続けるはめになりました。本当に疲れた。(見ろ足が棒のようだ!) 明日もまた今日と同じことをするのだと思うと憂鬱です。まあ明日は6時までには片付けることが義務付けられているようなので、今日ほど遅くはならないでしょうけど、それでも、ねえ。
 去年はサークルの勧誘を本当に鬱陶しく思ったものだけど、勧誘する側になっても気分は変わらないし、こんな伝統廃止してしまえと思います。もう少し理性的にやれようものなのにさ。

 帰って少し数学をしました。ちょっとだけ事態が好転している気がします。もう少し頑張ってみよう。