Redundanz

僕の言葉は、人と話をするためにあるんじゃない。

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 些細な事で苛々してしまいます。世界はあまりにも窮屈で、時間は足りなくて、出来ることにも限りはあって、それなのに時間は悠然と流れてゆく。それが我慢ならないのです。僕に無断で動くんじゃない。僕の知らないところで進まないでくれ。

 2限の量子論を受けに大学へゆくと、休講でした。webの方には休講情報なかったのだけど、はて。先週の授業中にそれらしきことを言っていた気がするのだけど書き付けていなかったから忘れてしまっていたようです。メモをとる習慣がつくと、メモしない限り直ぐ忘れてしまうようなるらしい。もう少し注意深くならなくては。

 3限まで暇だったので図書館へ赴くも閉館でした。僕の大学での居場所はそこだと言っても過言ではないのに。コンビニみたいに24時間365日営業してほしいものです。そうしたら僕はそこで寝泊まりするのに。

 仕方がないので書籍部で立ち読みをしました。伊藤計劃の映画批評Blogが書籍化されていて、何かなあという気分。はっきり言って本にするような内容ではないのです。彼は小説家で、映画批評家では決してない。いわば素人の書いたものを、伊藤計劃という小説家としての彼にかこつけてて売っている。伊藤計劃という人物を、消費し尽くしてやろうという雰囲気を感じて、薄ら寒くなりました。これは冒涜だ。

 3限の物性化学を適当に受けて、それからバイト先近くの喫茶店で数学を勉強しました。抽象ベクトル空間の抽象的たる所以とその懐の広さに奥深いものを感じるのだけど、果たしてその使い道がちっともわからないために道具としての実感がわかない。数学的本質を追求出来ればそれで数学としては良いのかもしれないけども、何かなあと言う気分。僕は工作少年だから、その辺は気になるのです。

 バイト。久しぶりに仕事量多くて疲れました。バイト先が移転するらしいです。少し駅から遠くなるみたいで困惑。まあほんの少しなのだけども。

 明日は保健センタ。何を話そうかしら、この苛々のこと、居心地の悪さのこと、自分の無能さのこと。解決すべきことは沢山あります。何もかも、目をつぶったほうが楽なのだろうか。