Redundanz

僕の言葉は、人と話をするためにあるんじゃない。

0519(五月祭)

 昨晩の0時頃、ほぼ終電で母校の後輩Yがやって来ました。今朝は早く家を出る必要があったので早めに寝るつもりだったのですが、結局話し込んでしまって寝たのは3時とかでした。
 高校でやっている活動の一環として、教育学者の本田由紀氏へインタビューするらしく、その日程が丁度5月祭と被っていたとのことです。そのこともあって、国家的な教育の意義だとか、民主主義の話とか(彼のクラスでは民主主義の実験をやっているらしく、ごみ問題や席変えの問題が浮上しているとのこと(決定に対し実行力を行使するのが何か、というのは大事だと思います(Yが言うには警察とか。僕はクラス内通貨を作るのが良いと思うけどもそれは自由民主主義だ)))しました。結構面白い。
 教育については、例えば件の本田由紀氏はより専門的な教育へ進む向きを押し出しているけども、ゆとり教育自体も生徒の専門分化を早めるという意味では共通していて、とか、そういうことする意義はどうかとか、明治辺りからの日本の教育の目指すところの流れとか。例えば、生徒一人あたりに予算を配分するのか、それとも教師一人あたりについてそうするのかという違いが、かなり教育の運営について思想的な差を生むらしく、面白いなあと思いました。あと、生徒の幸福とは。
 あらゆる人間が賛同する正しさが存在せず、また幸福や倫理の数値的比較が出来ない以上、民主国家の運営の決定には説得力が大きく作用するように思います。多数派が勝ち少数派が負けるわけです。では、ある民衆の気持ちを汲みつつ合理的な判断が出来る有能な独裁者がいたとして、その決定と民主主義的な決定にはどの程度の差があるだろうか。システムとして目指すものが同じであるなら、その間に差は余り生まれないと僕は思うし、仮にそこに違いが生まれた所で、僕はそれが民主的な決定の本質ではあり得ない(そんなものがそもそも存在しない)用に思うのです。だから僕は、民主的であるというのは幻想であり欺瞞であり、国民に責任を取らせるための拘束の力(議員と地域の結びつきが薄れてきて特に)だと思うのですが、Yはそれこそを民主的であることの成果だと言うわけです。面白いなあと思います。(小学生並みの感想)
 それと、政党の必要性がよく分からないから勉強しなきゃ、みたいな話もしました。議員がそんなに賢くないからかしら。
 色々と楽しい話を聞いて、少しモチベイションを分けてもらいました。高校生の身分は良いなと、今になってとてもとても思います。僕はもっと高校時代に何かすべきだった。後悔しても仕方ないけどさ。

 そういうわけで、今朝はギリギリに起きてしまい、急いで本郷へ。若干遅刻しました。それから体操発声をやって、合唱の発表。歌った教室の音響が壊滅的で、それと朝早すぎてみんな頭が回っていなかったというのもあると思うけども、微妙な発表となりました。うーむ。僕自身もアレだったのでアレなのだけど。課題は多いですね。(僕が言うと駄目な気はする)

 それから、さたやみさんとその友人と一緒に、謎解き集団AnotherVisionの運営する謎解きに興じてきました。4人グループで問題を解いたのですが、割と手練が多くて相当早くに解き終わりました。15分くらい余ってたのかな。(最速だったらしい)僕は睡眠不足であまり活躍できず、その点心残りではありますが、早く解き終わって周りを眺めていると時間ギリギリで大慌ての参加者たちの様子を見ることが出来て、嗚呼いつもの僕はあんな風なのだなあと感慨深いものが有りました。
 とかなんとか余裕をかましていると最後の最後で引っかかりかけて、しかし単純な運で勝ち残っていたりするので、なんというか。まあ次はもっとしっかり完膚なきまでに攻略したいですね、ええ。

 その後、さたやみさんの友人とは別れて、さたやみさんとサークルの先輩とでご飯を食べ、さたやみさんの関係者のやっている読書会に参加して来ました。(さたやみというのはこう文字で書くと締まらないので何度も連呼するとアレですね漢字で書けばよいのかしら) テクスト分析の実演ということで、割とわくわく。
 会場に行くと、Twitterでフォロー関係にある宇宙猫氏などがおり(さたやみさんの友人らしい)、世間は狭い。(ちなみに紹介される直前に、この人はもしかして宇宙猫氏ではと予感していたので、先に言っておけば天才感醸せたかなとか。)
 内容自体は、少し拍子抜けするようなもので、具体的には参加者の選んだ文章についてみんなで吟味してゆくというそれだけのものだったのですが、議論にありがちな目的の不明瞭化に陥って、ちょっとアレな感じ。まあ逆に分析というものを完全に定めてはじめてしまえばただの作業になってしまいますし、その辺の兼ね合いがとても難しいのは推察できます。こういうのは、最近参加している謎の集会にも言えることなのよなあ、どうしたものか。
 馬鹿みたいなことをたくさん言ってしまって非常に恥ずかしいですが、良い経験にはなった気がします。読書会のあとそこ(高架下という団体)の人たちと色々雑談したのが楽しかった。皆さんほんとうに色々なことを知ってらして、へえとか面白いなとかしか言えない己の不勉強さが悔しい。彼らは言いたいことをまっすぐにずけずけと言うので(時に悪意を感じる)、刺さるものはあるのですが、なるほどと思えるところも多くて、こういう人たちが論壇に上ると良い物を見せてくれるのでしょう、とか。そういえば宇宙猫氏には、僕の受験期のつぶやきはかなり面白かったのだけども大学入って以来そうでなくなったと指摘されました。多分僕が内輪のコミュニケイションに耽溺していたことと(孤独は大切だなあ)、受験期の方向性のある辛さ窮屈さ怒りが(それが必然ではないことも含めて)特定の人を面白がらせる効果を持っていたのだろうと思います。最近は単に無気力で、自分がつらい要因もかなりの所で把握できているため、そういう衝動が生まれにくいのです。別にあの頃に戻りたいとは思わないけども、もう少し面白おかしく呟いてゆければと思いました。うん、割と死にかけていたのだな僕は。それに気づけたのは本当に良かった。
 それと、僕とさたやみさんは思想的にはかなり違うけども、処世術というか承認の得方が相当似ているのだなというのが最近思うところです。いろいろとふっかけたけども、それらは全て僕に対して通用する言説だったのですよ。

 さたやみさんとは別れて、サークルの出店の片付け(のフリ)をして、帰宅。様々に思うところのある五月祭でした。
 もっと賢くなりたいし、もっと情熱的でありたいです。どうして僕はこうもなんにも興味を抱けなくなってしまったのだろう。多くの人と話していて、どんどん僕の空虚さが際立ちます。せめて、一般に必要な能力くらいは手に入れたいと思うのに、それさえ全然達成できていない。しかし何もしたくない以上これは僕が未来の僕に対して負っている責任だと言えます。なんとかしなきゃ、なんとか。