Redundanz

僕の言葉は、人と話をするためにあるんじゃない。

0523

 人から悪く思われることはよいのです。しかし、人から悪く言われることが非常に怖い。なぜならそれは一つの現実のシチュエイションであるという点で、僕に何らかの対応を迫るから。その時に僕は上手く振る舞う自信がないのです。上手く振る舞えない可能性が僕の善悪の基準を成していて(それは善悪と捉えることが可能である、という程度の意味です)、故に僕は社会的規範にある程度従っている。けれどもある種の「仕方なさ」を自分のキャラクタに組み込んでしまって以来、僕はいくらでも駄目な奴になることが出来て、ときどき、その僕のキャラクタを物ともしない人間に対して、非常な居心地の悪さを感じては己のダメさ加減をかなしんだりするのです。上手く振る舞えないこと。一体どうして僕はこれほど表面的で自己愛にまみれた人間になってしまったのか。これからどういう経験をしてゆけば、もう少しまともの倫理観を持ってゆけるのでしょう。僕の理性が自分の弱さに完全に取り込まれてしまう前に、何らかの対策を講じなければなりません。どういうシチュエイションに自分を追い込めば良いだろうか。僕は僕を治さなくちゃならない。

 相対論の講義。途中でとても頭が痛くなって、あまり考えられていません。家に帰っても痛みがおさまらなくて、それで今まで寝ていました。痛みは取れたけども身体は怠いし、今日はこのまま寝てしまおうと思います。明日6時くらいに起きられたらいいな。