Redundanz

僕の言葉は、人と話をするためにあるんじゃない。

0526

 起きてから歌の練習をしました。僕は不真面目な団員だから、音取りすらしていない曲がいくつかあるのです。幸い、僕の苦手なリズムに関して難しい曲はなく、1、2度MIDIと一緒に歌うと歌えるようになりました。こういう時バイオリンやっててよかったと思います。まあバイオリンやっていなかったら現状はこれとかけ離れたものになっているでしょうから、そういうことに特に意味は無いのですけども。そうだ、バイオリンといえば消音器をAmazonで注文しました。今持っている木製の弱音器では消音効果が小さくて、本来楽器禁止のこのアパートでは思い切り弾けないのです。消音器を使うと音の善し悪しを上手く聞いて判断できなくなるので、本当は使いたくないのだけど、練習不足で腕が鈍ってしまうよりはマシでしょう。大学の学生会館借りて練習するのが良いのだけどなあ。ちょっと面倒臭い。

 それから、サークルへ。指揮者の先生がいらっしゃるのでいつもよりきつい練習。体力が落ちているのを実感します。筋肉痛を生じる予感。筋トレとかしようかな。
 演奏会の運営でトラブルがあったらしく、色々面倒そうです。僕は傍観的な態度を貫いているので何か言えた口ではないのですが、人それぞれ様々な思惑だったり特性だったりを持っていて、それが時にぶつかりあいに発展する。どちらが悪いとか正しいということは無いと僕は思うのだけど、何らかの意志があって物事が動いている際、その意志には責任が伴うし、それが集団としての正しさを規定したりするのです。当たり前の事ではあります。けれどその物事が、設立当初の意志を失ってしまった時、形骸化した正しさが禍根を残す事があって、それは不幸だなと思うのです。伝統が維持されるというのは一体どういうことなのでしょう。もう少し考えてみなくては。

 明日からまた大学です。そろそろ髪を切りにゆかねばならない頃合いになってきました。暇を見つけて切りましょう。