Redundanz

僕の言葉は、人と話をするためにあるんじゃない。

0607

 大学行って、数学やって、それから謎の集会(3度目)へ。
 今回はかわいさについての話をしました。色々例を出したり、個人的なかわいさ観を持ち寄りながら、結構生産的な議論になったかなと思います。珍しく。
 かわいさというのは、ある集団において有能な弱者を保護する機能なのではないのか、というのが僕の出した結論で、こうすると、アイドルグループは沢山あるけども、単独でかわいいアイドルがあまりいないこと(それはむしろかっこよさである)、幼いものや小動物に対するかわいさ(これはかなり本能的なものなので、先に述べた包括的なかわいさ概念の生物学的な要素の一つといったほうが良いかもしれないけども)など説明できるように思うのです。ちなみに、異性に対して使うところのかわいさ概念は好意の婉曲的表現(一般化)なのでは、とか。あと、支配欲も絡んでいると思うのだけど、これについては上手くお話に組み込めていません。また違うところに立脚しているのかもしれない。

 帰ってから量子論の勉強を少しして、Twitterを眺めてとりとめのないことを考えていました。僕の幸福はこういうところにあるのだなと改めて感じます。僕はたぶん、無駄が無駄であることを愛しているのだ。

 明日は合唱の練習です。がんばらにゃーにゃ。