Redundanz

僕の言葉は、人と話をするためにあるんじゃない。

0822

 お昼ごろ本屋に行って地球の歩き方を買いました。旅行会社で借りて読んだものと比べてあんまり内容的な差異はない感じ。データが少し新しくなっていたかな。それとJAVAの本を一冊。ちゃんと読むか自信は余りありません。

 家に帰ると甲子園の決勝をやっていました。それを見ていた母が延岡が負けそうになると選手を叱責したり叫び声をあげたりしていて少々うるさかったです。僕は応援という文化がよく理解できないのだけど、まあ楽しめる人が楽しめればそれで良いのでしょう。結局延岡は負けてしまったのですが。話題になっていた監督の喜ぶ姿が見られなかったのは少し残念かな。

 それから数学をずっとしていました。うちにいると暇つぶしが限られるのでそれくらいしかやることがなかったのです。東京のアパートの環境もこんな風にしたら良いのかなと考えましたが、あまり現実的ではないです。

 夜は父方の祖父母の家にゆきました。福岡の予備校に行っている妹も帰ってきているのですが、まだ顔を見せていなかったのです。相変わらず祖母は80を超えているのが疑わしいほどに元気で、幼稚園の頃の僕がいかに人と馴染まなかったかという話をされました。周りの子供達が元気にお遊戯をするなか、僕一人だけがぼーっと突っ立っていて、時折思い出したようにボンボンを振る様子が非常に可笑しかったと笑っていました。僕としてはそこまで冷めた子供だった記憶は無いので、単に何をすればよいのかさっぱり分かっていなかったというのが実情だろうと思います。何をすればよいのか、僕は今だって分かっていないのだし。