Redundanz

僕の言葉は、人と話をするためにあるんじゃない。

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 今朝ふと思ったのだけれど、僕は眠くないけれども明日のために寝るという事に抵抗があるようなのです。眠くなったら寝たいし、眠くないのに寝たくない。満足ゆくまで展開しきっていないその日の調子、思考が寸断されてしまうことがもったいないのか知らないけども、僕にとって睡眠というのは義務感からかなり遠く離れた概念なのです。実家にいた頃も高校で下宿していた頃も、毎朝叩き起こされるのが常だったからかしら。思い返せば昔から僕は寝ない人間でした。布団に入りはするのだけど、頭は真冬の清流のように冴えていて、色々な考えがぐるぐる回っていたものです。ちなみに寝付きの悪さは広汎性発達障害の特徴らしいけども、安易に相関を見出すのもどうかという感じ。

 つつがなく大学へゆき、バイトして、今日が終わりました。

 大学が終わってバイトへゆくまでの間に、丁度鞄にはいっていた(再読の機運が高まっており今朝放り込んだのでした)円城塔Self-Reference ENGINEの暗記を試みてみました。文章のサンプルを多く脳内に用意しておくことで、文章表現力を高めたいとの思いからだったのだけど、流石に本一冊の暗記というのはなかなか骨の折れる仕事で、5ページで挫折。多分もうやらないと思います。ところで僕は覚えている文章を脳内で反芻してみても、文章を読むことで得られるものと同じ心地よさを感じることは出来ないようです。おそらく読書の楽しみというものはその内容とは別のところにあるのでしょう。僕のさまざまな行為と認識は、幾つもの要素が複雑にからみ合ってできていて、それらの振る舞いがメタなレベルでの僕の気持ちを左右しているのだけど、普段の僕はそのことを意識しない。でもたまに、こんな風に自分の細部の構造に目を向けることが出来て、そういう時は決まって、何かが変わったような気がするのです。僕という一個の意識が、僕の肉体により深く染みこむような、拡張の感覚。動かないと信じ込んでいた腕が、実は動かせるのだと知ったときのようなそんな喜びがあります。大人になってしまった各部位を、リハビリするのだ。