Redundanz

僕の言葉は、人と話をするためにあるんじゃない。

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 昼ごろに起きてだらだらして、大学に行って講義を受けて帰宅。あの視覚の講義レベルが高すぎて僕にはついてゆけない感じがあります。そもそもああいった内容を"理解"することが果たして人間に出来るのか疑問です。まあ単位はなんとか取りたいけれども。単位といえば哲学概論のレポート課題がつらいです。あんまり講義に出ていなかったので、授業の内容をまとめろと言われるとどうしようもないものがある。誰かにノートを見せてもらおうかしら。そのためにはまず友だちをつくるところから。

 自分が大学でなにをやっているのかいよいよ分からなくなってきました。確かに面白い講義はありますし、そこで学んだこともたくさんあります。でもそういうのはごく一部です。講義を受けて、単位を取得し、卒業する。そういうつまらないことにどうして時間を使わねばならないのだろうと思います。
 これらの知識は、何かになりたい人にとっては必要なものなのでしょう。逆に言えば、何かになるために多くの人は技能を獲得してゆくのであって、それらの技能への興味が先んじることはあまりない。一方で僕は、やりたいことや知りたいことはあっても、なりたいものはないのです。そういうモチベーションの持ち方がどうしてもできない。やりたいことをやるためにはそうした知識を吸収し、それを社会的に承認される必要があるということは了解しているのだけれど、それでも無理なものは無理です。僕みたいなのを本当の社会不適合というのかもしれません。僕は海賊になりたい。