Redundanz

僕の言葉は、人と話をするためにあるんじゃない。

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 おおよその社会問題は局所最適解同士の殴り合いって感じがする、とか。

 朝から父方の祖父母の家に行き、年賀状を作っていました。だいたいは母が注文を喚きつつ妹がコンピュータ上でレイアウトを考えるという構図だったのですが、最終的なところで行き詰まっているっぽかったので僕が仕上げました。アイディアさえ決まっていればあとは僕のほうが早いです。しかし年賀状作成ソフトウェアというのはどうしてこうもひどい設計になっているのですかね。あまりに手続き的というか、機能が散らばっていて統一的に使い方を把握できない。年賀状作成という行為の構成がそうなっているのだという指摘もあるかもだけれど、もう少しなんとかならないのかという感じです。もしかして世代が上の人達にはこうしたほうがわかりやすいのだろうか。あるいは、電話やメールでのサポートがしやすいという理由があるのかもしれない。いやそれは本末転倒か。

 年賀状を作りつつチュートリアルを参考にしながら多層パーセプトロンを作っていました。画像を出力に取るにはどうやればいいのかと悩んでいたのだけれど、コードを良く読むと適切にエラーさえ定義されていたらそれで良いっぽいです。まあ当たり前か。というわけでオートエンコーダーじみたものを作ってみたら普通に動きました。やった。それからどうして学習データとしてトレイニング用確認用テスト用とたくさん必要なのだろうと気になっていたのですが、そのチュートリアルの仕様として誤差がより小さくなった場合重みを更新するとなっているので、もし局所最適解的なところに落ち込んでしまうとそこから出てこれないようになっており、それを防ぐためにトレイニング用とは別の確認用のデータで誤差を判定するようしてるぽいです(意味の取りづらい文章だ(まあ僕がわかれば良いや))。これで最終目標に一歩近づいたのかな。
 試しに作った学習器に為替のデータを放り込んでみたのですがちっともうまく行きませんでした。時系列データを扱うにはやっぱりパーセプトロンは非力ぽい。ので今度はリカレントネットワークを頑張って作りましょう。その前にコンボリューションかな。

 湯船に浮かんでいると、「自意識は認知情報処理の場におけるツムジのようなものである」という表現が降ってきました。意味はまだ不明。

 物語の説得力について少し考えていました。あるいは偶然やご都合主義をうまく受容させる方法。読者の思考を先回りして説明を入れておくというのが普通ですけど、逆にオチを読ませてしまうことでリアリティを与えてしまうという方法もあるのだな、と思いつきました。メタな視点を強制してしまってそこに納得感をつくる感じです。