Redundanz

僕の言葉は、人と話をするためにあるんじゃない。

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 アクティブラーニングの講義。今日も物理の内容でした。初めは教育心理学とかその辺のお話で、適切な教え方をすれば、講師が教師経験の薄い大学院生であっても、ベテランの教授の倍近い授業効果を出せるのだとか。delivered practiceと呼ばれる、構成主義的な学習と達成度のフィードバックを二柱とする教育理念のようです。そのことを習った上で、実際にニュートン力学を題材にdelivered practiceなるものをやらされました。始めに問題を解いて、学生間で話し合って合意に達する、という流れ。グループの中に一人物理の事をあまり知らない文系の学生がいたのだけれど、僕らがああだこうだ説明する中で、かなり鋭い理解に至っており、結構効果があるのだなあと驚きました。僕らの間に理解度の差がそれほどないことも良い方に働いているようです。これが例えば教授とかだと、何故理解できないのかを理解できず、うまく説明できないのだとか。ということは、その点では、大学の講義にはあまり意味が無いのですよね。実際、僕らに今日講義してくれていた教授自身、講義はほとんど聞いていなかったといいます。けれどもその一方で、delivered practice的な勉強法は自然に身につけていたらしく、結局のところ、学び方をどこかで身につけた人間が強いうのだ、という事になります。僕はそれが結局わからないままここまで来てしまった。つらい。ああそういえば、話の中でアインシュタインの話が出てきたので、良い機会だと思い、今の物理学の中にアインシュタイン的な想像力が生きる余地はありますか、と聞いてみたのですが、厳しいねという答えが帰ってきました。やはり数学か、数学しかないのか。人の知性の最果て。

 夕方は新しい方のバイト。今日はそこそこ良い調子でした。若干投げやりな気持ちで臨んだほうがうまくゆくらしい。

 もう少し書きたいことがあるのですが、ひたすら眠たくて文章がぐちゃぐちゃだし、明日は朝早く起きて午前十時の映画祭(2001年宇宙の旅)を見にゆくので、はやめに眠ります。目指せすがすがしい覚醒め。