Redundanz

僕の言葉は、人と話をするためにあるんじゃない。

0221

 今日はPDFで落とせるルーミスの書籍を参考に絵の勉強をしたり、数理論理学の続きを読んだりして、ちょっとだけ良い日でした。線形代数を勉強したときの感覚が役に立っているように思います。頭のなかに道具を整理して詰め込んでゆけば、いつか振り返った時に、素敵な体系を景色として見ることができるのだという思いが、遅々として進まない勉強のモチベイションを維持してくれている。
 夕方からは古い方のバイト。京都大の物理を解いたから添削してくれと言って送ってきた生徒がいて、その対応をしたり。はるか昔のことのように思われるけれども、僕は一度京都大学の物理工学科を受けているのよね。あの時は理科が酷すぎる出来で、ほぼそれが原因で不合格になったのだった。あの時失敗したことは結果として良かったのだと東京大に来た頃は思えていたのだけど、今ではやっぱりあちらの方に行っといたほうが僕の性質からして良かったのではと考えずにいられません。まあ終わったことについて考えてもしょうがないのだけど、それでもたまに頭をかすめる想像である。
 添削したのは2012年度の問題。相対論のお話を高校生向けにアレンジした問題などあって、なかなか面白かった。こういうの出すから京都大は良いよね。ただまあ、その学生の出来の方はあんまり芳しくなくて、後一週間だけど大丈夫かなと心配になります。健闘を祈る。
 今日の業務が終わる頃に上司の人が行っていたのですが、このバイトを在宅で出来るようする可能性があるらしいです。バイトの募集が難しいらしくて(あんまり待遇良くないからなあ)、それを打開するための案らしい。しかもその場合は歩合制になるぽいので、僕の問題解く早さとか考えると、新しい方のバイトより条件良くなることも考えられる。こっちの仕事はやめようと思っていた矢先のことなので少し迷います。何より、在宅というのは魅力的。ちと考えましょう。