Redundanz

僕の言葉は、人と話をするためにあるんじゃない。

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 円周率の日らしいです。円周率近似の日のほうが正しいのではないかと調べてみると、実際にそちらもあるらしい。7月22日とか。ところで、時刻とπが一致する瞬間があるのかと言えば、それはどう時刻を定義するかによってどうとでもなりそうだけれど、時間というものを物理的な何らかの操作によって決めるなら、そんなことはあり得ない気もする。単に測定精度の問題で、いや、もっと単純に、個数について0.7とかがあり得ないという意味で。馬鹿なことを書いています。断罪されてしまいそうだ。

 サークルの新歓関連の印刷の仕事があって駒場にゆかねばならなかったのですが、寝坊して迷惑をかけてしまいました。ちゃんと起きたはずなのに、ふと時計を見ると大幅に遅れていて、急いで支度して大学へ。昨日遅くに部誌の原稿を書き始めたのが良くなかった。もう少し早く始めるべきだったのだけど、「ぎりぎりになればさすがの自分も行動するだろう、今頑張って始める労力よりもその時の精神状態を援用したほうがスタータとしては効率が良い」と、ぎりぎりの状況に対しある種の信頼を抱いているフシがあり、病根は深いように思います。死にそうになったら自分だって頑張るだろうし、死にかけるのをのんびり待てば良い、というような。どうしてこういう良くない安定状態に落ち込んでしまうのかといえば、僕にとってやる気を出すということが最も大きな難関だからであって、その閾値を下げることが一番の解決策なのだけど、具体的な手段がわからないのでどうしようもない。あるいは、今の自分がすでにやばい状況にいることを正確に認知すること。しかし、ありのままを見ることはとってもとっても難しい。
 印刷とか製本とかはのんびりやっていたらさっくり終わって、普段あんまり関わらない人とお話をしてみたり。西洋の政治史に興味があるらしくて、少し教えてもらったのだけれど、近代国家というのは歴史的に見ればかなり特異な枠組みなのですね。特に考えずに生きてきて、社会は敵だとか言っているけども、もう少しその由来を調べてみるのは面白いかもしれない。

 夜はlojbanの勉強をしていました。勉強しようしようと思いつつしていなかったので、ほぼ零からのスタートだったわけですが、あらためてちょう楽しい言語ですね。異言語を学んで面白いと感じたのは多分はじめてです。なんというのかな、なぜか知らないけどコードが動いた、という感動に近いものがある。あと、例外がないからかな。明日はもっと深いとこまで勉強しよう。