Redundanz

僕の言葉は、人と話をするためにあるんじゃない。

0507

 短編小説を読むときは、最初の掌編から順に読んでゆくようにしている。というのも、もし面白そうなお話から読むってことをしてしまうと、面白そうなお話とそうでないお話というように序列をつけてしまうことになって、後から面白くなさそうな方のお話を読む気が失せてしまうのだ。そうなると結局、いくつかの掌編を一度も読まないままその本を読み終えた気持ちになり、以降二度と手に取らない、なんてこともありうる。本の楽しみ方としてはこれでもいいと思うんだけども、なんとなく、全体に目を通していないと言うのはきまりが悪い。特に読書記録サービスに登録するときに。というのは冗談として。

 頑張って大学にゆきました。
 ON LIBERTYを読む演習で、ミルは極端な経験主義者であり数学的な真理ですら経験的に会得されるものだとしていた、というようなことを先生が説明していて、その内容になんとなく納得しつつもにょもにょが残りました。結局うまく言葉に直せず論駁できなかったのですが。ううむ、少し悔しいな。

 その後駒場に行ってサークル。自分の意図する音を出せなくてつらい気持ちになりました。自分の身体が自分の想定通りに機能しないと、人型の棺に閉じ込められてしまったかのような恐怖を感じます。思い通りになるはずのものがそうならないのは怖い。

 夜はふと走りたくなって3キロほど走りました。初めての道なので、今回はちょっとゆっくりめに。流石に11時ともなると人や車の往来も少なく、割と走りやすい。僕は自分が思ったよりは身体を動かすのが好きらしいです。ちょっと前までは全身だるくて動く気がしなかったのに、いざ走りだしてみると案外頑張れました。ただまあやっぱり体力は落ちているようだし、最近の気分の優れなさが身体の訛りによる可能性もあるので、これからたまには走ってみようと思います。今夜はぐっすり眠れる気がする。

 学習に関して、入力よりも出力が大事だというのは良く聞く話なのですが、実際データなんかを見てみるとその違いは歴然で、なんとかしなきゃなあという気分に。ただ自分の知識を常に確認し続けるのも苦行感あるから(そのくらいやるべきなんだろうけど)、通常の学習態度にそのようなプロセスが必然的に内包されるような仕方で勉強できたらな、とか。やっぱ上手い具合にノートをつくるのが良いのかね。僕は手で文字を書くのが苦手だから、出来ればキーボードポチポチやってまとめられれば良いのですけど、図とか数式とか扱いにくいし、ううむ。TeXの練習を兼ねて学習日記でも書いてみるかな。いやしかし多分時間が足らない。手書きで頑張るしかないかしら。せめてちょう書きやすく手の疲れにくいボールペンが欲しいところ。