Redundanz

僕の言葉は、人と話をするためにあるんじゃない。

0606

 ものすごい雨です。誰に断って降ってるんだ。

 駒場に行って計算数学。GRUBからWindowsを起動できない問題はほうっておくことにして、前回に引き続きDebianで遊びました。Linux標準教科書なるものを読みながら適当に実習。なんとなくで知っていたことも多いのですが、一度網羅的に知っておくとあとで困ったときになにを思い出せばよいかわかって便利なので、ひと通り読んでおこうと思います。

 夕方はサークルのボイトレがあるはずだったのですが、先生が体調を崩してしまったらしく中止になりました。しかし借りている部屋を無断でキャンセルするとコミュニケーションプラザの人に怒られてしまうらしいので、ボイトレ担当の僕は仕方なく使うはずだった部屋を借り、そのまま返すのもなんだしと中で本を読んでいました。すごく贅沢なことをした気がする。

 机が物で散乱してしまうのは、読み終わった本を本棚に戻すコストが高いからであるということに気付いたので、駒場の生協で本立を買いました。机の上がすごくすっきりした。後は、定期的にそこの本を本棚に戻す事をやっておけば大丈夫なはずです。それを怠ると、結局場所を変えて同じことが起こることになる。

 お金について考えています。結局僕らの価値概念の根底には未だに所有がある。これがなんとかならないかなあ、と感じているのですが、特に具体的な手立ては浮かびません。今のところそれからもっとも遠い収益化の仕組みは広告だと思っていて(別に新しいという意味ではなく)しかし僕の観測する限り人類はそれ以上先にはいけていないようだし、どうしたものか。一つ思うのは、良さを生み出すことと何が良いことであるかを知っているということはかなり似ていて、その点で広告と対になるのは流行の予測じゃないかな、ということです。突き詰めてしまえば、これから先に何が起こるかを知っていること。未来を売って生きてゆくこと。少し素敵な空想かもしれない。大きな計算機があればやれるかしら。