Redundanz

僕の言葉は、人と話をするためにあるんじゃない。

0625

 もっと影響力が欲しいなあと思います。ちやほやされたいというのももちろんあるのだけど、もっと切実に、世の中に切り込むための戦闘力として。

 大学行って、講義を受けて、mkt氏とお話をしました。サークルの運営についていろいろと考えているようなので、僕が適当に放った意見のどれかひとつでも役に立ってくれると幸いです。彼の言語感覚は非常に抽象的で、言い換えれば、シチュエーションに対して語彙を振っているようなところがあって、その複雑さに他人であるところの僕が割って入ってゆくのは大変です。(面白いけど) 混みいったものをうまく言葉にすることで単純化しているのかな。パッケージ化してしまうのが上手な感じです。しかし一方でそれは、何も知らない人間にとっては、つかみ所のない言葉の並びにしか聞こえなくて、実際に彼はサークル内ではなにを考えているのかよくわからない人間だ、ということになってしまっているようです。僕自身昔はこいつ何者だろう、と思っていました。それに、彼自身がその高度に洗練された語彙をうまく扱えなくなっているのではないかなと思われることもあります。精神の調子もあまり良くないらしいし。
 最近考えていることなのですが、考えごとというのは一定以上に複雑になってしまうと、もうダメです。他人に伝える、ましてや多くの人に賛同してもらうということは諦めねばなりません。相手がそれなりに賢くて、自分と相手の思想的な距離を正確に測ることが出来、なおかつ聞く気があるならばその限りではないのですけど、その為にはある種のキャッチーさとか賢威とかも必要になってくるでしょう。それでも沢山の人たちに賛同してもらいたいと思うなら、議論を出来るだけ単純具体化して、大胆に内容を端折って伝えるほかないんじゃないかな、と思います。言ってしまえば、勢いで人々を騙してしまうのです。理解させるよりは、騙してしまうほうがよほど簡単だし、応用も効く。誠実な態度ではないと理解してるけども、具体的な目的地が存在して、そこへ急ぐ必要があるのならば、ある程度本質的な部分は無視しても良いんじゃないかな。それでうまくゆくのなら。ああ、さっき騙すという言葉を使ったけども、これは理解の階層の違いと言い換えてもいいと思います。理解にはレイヤーがあって、それぞれのレイヤーで人々は納得し、行動を変化させる。ある言葉に二人の人間がウンウンと頷いて、しかし実際には、二人の考えていることはまるで違うかもしれない。しかしそれによって、二人が同じように振る舞いを変更したなら、それは一つの理解であるに違いないのです。そしてそういう意味では、その思想を着想した本人であっても、本質的な理解に到達しているとは言えないかも知れないということでもある。実際のところ世界は物質的に進行しているし、僕らはそれに言葉で解釈を加えているにすぎないのだから。
 ところで、mkt氏の考えている具体的な目標というのがまた抽象的で、彼は団員のそれぞれが自ら何かを意識的に選択することを望んでいるのです。その理由とか議論とかはよく覚えていないのだけども、とにかく、主体的に行動して欲しい、あるいは主体的に行動しているのだということを自覚して欲しいらしい。それによって何かが変わることを期待しているといいます。別に改善される必要はなくて、何かが変化すれば十分なのだと。それだけのエネルギィがあれば、勝手にうまい具合に転ぶだろうと期待しているのかしら。とにかく、mkt氏は各位に対して精神面での変容を迫っているフシがあり、それは結果として、深い理解(この場合は誤解でも良い)を必要とするわけです。それゆえ、彼の言葉は二重に届かせにくく、困っている。いちおう僕はそんな風に問題を認識しています。
 彼の言葉を誰かが翻訳するか、環境面で大きな変化を加えるか。そもそも言葉の上でぐちぐち考え過ぎなのかもわからない。何が重要なのか、何がそうでないのかも判別し難くなっている。こういう時に大きなカリスマが存在すると、なし崩しになんとか出来てしまう気もするのですけど。残念ながら僕らの代にそういう人間はいないし。ううむ。まあ何にせよ僕らは一度大げんかでもしてみるのがいいんじゃないかなあ。

 word2vecに文章を学習させて遊んでいます。純粋理性批判とか食べさせたら、何やら哲学的な推論をしてくれるんじゃなかろうかと期待したのですが、コーパスが小さすぎて精度が低い。自分のTwitterの投稿を入力したりもしましたが、この程度では全然ダメみたいです。少なくとも100メガバイト程度の文章は必要ぽい。無難にWikipediaあたりを使うとするか。