Redundanz

僕の言葉は、人と話をするためにあるんじゃない。

0714

 コミュニケーションサポートルームへ行きました。適当にいろんなこと喋って、ひとまず認知機能の検査をして苦手と得意を明らかにしましょう、みたいな流れに。自分の内面については様々なことを考えてきたけれども、客観的な基準によって評価されるとなると少し緊張します。自分が思っていたより無能だったり優秀だったりしたらどうしよう、みたいな。前者はふつうに悲しいし、後者だったら自分の失敗は甘えの結果だったということになる。なんにせよ、人並みの勤勉さを手に入れることを目標に。
 自閉症スペクトラムの本に書いてあったことですが、ASD傾向のある人間は、その知的能力から期待される進路よりももう少し楽な進路へ進むと幸福に生きられることが多いようです。僕もそうすべきだったかどうかはわかりません。少なくとも、そういう道は選びたくなかった、と思います。その点は後悔していません。でも、インターネットで見た(まあどこまで信ぴょう性があるかわからないのですが)灘校生その後のエピソードの中にあった、アカデミックな環境では落ちこぼれたけれどもそこそこに仕事をしてそれなりの幸福を手に入れている卒業生の話がふと頭に浮かびます。浮かぶだけです。

 本郷のベンチに腰掛けてたくさんの絵を書きました。自分は木を描くのが下手くそなのを知っていたので、学内の樹木をいろいろ観察した結果、一つの書き方を確立しました。葉っぱをまとまりに分割して、それの空間的な重なりを意識してうまい具合にまとめるとそれっぽい感じになるようです。(伝える気のない文章だ) 少し前に気付いたことなのですが、人間の目はまず第一に輪郭を見るようできているようです。だから葉っぱの一枚一枚を精密に書くよりも、それらが組み合わさった結果現れるぎざぎざした輪郭線にこだわったほうが良いらしい。こういうの、人間の認知をハックしてるみたいで気に入らないけども、どうせ僕は人間なのでまあいいかな、という感じ。また一つこだわりを捨ててしまったよ。
 それから、自動車も書きました。僕は人工物も書くのが苦手です。特に、自動車は難しいと思います。見慣れているからかしれませんが、人の顔を書くことと同種の困難があるよう思います。前から見ると人の顔っぽいしね。あと左右対称なこととか。先に箱を書いてパースを検討しつつ書いてみたり、それぞれのパーツごとに書いてみたりいろいろやってみたのですけども、最終的に、対象の中に出来るだけ長い連続した部分を見つけることが大事だ、ということになりました。多分そこが一番ごまかしの効かないところなのです。
 特徴を捉えるってどういうことだろうと昔から思ってたんだけど、書きやすい方法を見つけることとほぼ同値である、という発見。

 夕方からバイト。そこそこに世界救えてた気がします。発生しうる問題は大体パターン化してしまったので、もはや考える余地があまりない。ちょっとつまらないです。