Redundanz

僕の言葉は、人と話をするためにあるんじゃない。

0729

 「カント哲学の諸問題」の試験。個人的には一番哲学してる感があって好きだったのですが、試験勉強的なことはあまりやっていなかったので昨日今日で資料を読みつつ図を書いたりしながらいろいろ考えていました。講義の中心的な内容は、誤謬推理論というカントの考えで、要はどうして我々は自分の認識能力を超えて考えようとしてしまうのか、ということです。簡単にいえば心の実体とか外界の存在とかそういうものを考えてしまうことについて批判しているのだと僕は解釈しています。我思う故に我在りという命題は、推論でもなんでもないよね、というアレ。
 試験自体はとりあえず分かる限りのことを書いて、まあ単位は来たかな、という感じ。試験が終わってから、その講義を受け持っていた先生とお酒を飲みにゆきました。その先生は講義が終わると毎回学生を連れて飲んだり食べたりしているようで、今回も受講者を誘っていてくれたのです。哲学の先生とお話をする機会というのは案外少なかったので、僕は着いて行ってみることにしました。他の学生はあんまりそういうことに興味は無いようで、残ったのは僕を含めて3人。
 お酒を飲みながら哲学の話や大学の話をしました。先に書いたデカルトのアレは推論ではないと今まで考えられてきたし、カントもそうした前提で批判しているけれども、実際アレはやっぱり推論なのだ、とか、哲学的冗談とか、東大の哲学科はダメだ、とか。先生の時代は国が豊かだったためか、大学もあんまり実学寄りではなく、結構自由気ままに哲学が出来たらしいです。羨ましいことだ。今ではそんな余裕が無いからか知りませんが、哲学科の教員は実用的な思想にかまけていて、哲学の基本的なところを教えていないとかなんとか。それから先生が記号論理学の岡本先生と同期だったと聞いて驚いたり。妙なところにつながりがあるものだなあ。他にも結構特筆すべき話題があったような気がするんですけど、ちょっと飲み過ぎてしまったのか忘れてしまいました。これを書いている今頭痛に苛まれています。痛い。あ、内井惣七の空間の謎・時間の謎は夏休み中に読もうと思ったのだった。ちょっと気になっていたところだし、先生も推薦していたし。
 「我飲む、故に我なし。」真理かもしれない。