Redundanz

僕の言葉は、人と話をするためにあるんじゃない。

0814

 昨日の夜東京を出て、三宮を経由し(懐かしき僕の全能感)、今日の昼過ぎに徳島に到着しました。妹がこの地で大学生をしており、阿波踊りとかいう伝統芸能に何らかの形で関与しているとのことなので、家族全員徳島に集まることになったのです。
 久しぶりに家族とあったのですが、相変わらず若干の面倒臭さがあります。共通の話題がないことが根本的な要因だろうと考えていたのですが、今日自分を観察していて気づいたのは、自分の耳は親族の声を優先して聞き取るよう出来ており、なおかつ彼らは好き勝手に喋りまくるから頭が混乱するのだということでした。もう少し脈絡を読んで欲しいものです。特に母。
 なんとなくですが、徳島は人の喋り声が大きいです。飲み会の時みたいな雰囲気があります。土地の広さ、人と人の物理的距離などが影響してるのかもしれません。気のせいかもしれない。
 阿波踊り、ひたすら賑やかで、僕は頭が痛くなりました。太鼓の音がとても大きいし、しかもあちこちで違うリズムを叩いているし、さらに人混みの騒音もすごい。バス旅で疲れていたのもあって、僕はふらふらになってしまったのですが、みんな楽しそうにしていたのですごいなと思います。僕の聴覚があんまり広い音を拾ってしまうのがいけないらしく、できるだけ一つところに集中するよう頑張ると少しはマシになったのですけど。
 今夜は妹邸に家族四人で泊まります。妹邸が規模と質で僕の家を50パーセントほど凌駕しているのがつらいです。いや別につらくはないんだけどもうらやましい。東京は家賃が高いからなあ。