Redundanz

僕の言葉は、人と話をするためにあるんじゃない。

0923

 気分が躁転しています。馬鹿なことをやらないよう、精神に掛けた手綱をしっかり引き締めておく必要がある(できていないかもしれない)。

 僕は高望みをしているのだろうか、と思います。昨日の検査の結果がじわじわキている。脳の器質的な部分に特に問題が見られない以上、自分の問題は性格だったり技能だったりといったもう少し表層的な部分、つまりより自分の意志でなんとかなる(と考えられている)部分に根ざしているということになるわけで、それは当然自分で改善すべき問題だということになるのでしょう(現状の社会ではという意味です)。それができないから助けてくれというのは、よりどうにもならない問題を抱えている人達から見て、甘え以上のなにものでもないということは理解しています。普通に生きられるのだから、それは享受すべきであると。多くを望むのであれば、人様に迷惑をかけるなと。そういう道徳観があることを僕は把握していると思うし、根本にあるのは、合理性と好悪であるということもわかっています。つまり、多数派の人達がそのような価値観を持っている以上、社会システムを利用する上でそれを無視することはできないということです。だから現状の僕は、もっと自分に優しい社会であったなら、僕の高望みが僕にとっては切実な願いであることを社会が理解してくれていればと、つぶやくほかない。仕方ないよ運が悪かった、いつかもっと良くなるといいね、という感じです。東大の支援施設だからと、少しは期待していたのだけれどな。少しは理想の高さを許容してくれるんじゃないかなと。
 僕は自分が駄目なやつであることを忘れてはいません。そしてその駄目さを言い訳にしている部分があることも知っています。それでも、前期教養の時に全然試験できなくてかなしかったのは事実だし、それをなんとかしたいと思ってできなかったことは嘘ではないと思っています。
 贅沢な悩みだと思われるなら結構。僕は一人で頑張ろうと思います。

 概念の関わりは線形ではない一方、言語は線形なので、例え文章として説明が理解できなくとも、そこに書かれていることをひとまず覚えてしまうことが、最終的な概念の把握に繋がるのだということを最近考えています。記憶することを躊躇うな。

 他に何か書きたいことがあったと思うのだけれど忘れてしまいました。もやもや。

 サークルの用事で僕が保有しているビデオカメラを渡さねばならなかったので、総務氏と会って昼ごはんを食べました。彼は割と僕の精神の癖についてずけずけものを言ってくれるのでありがたいです。それっぽいことを言うのが上手で、それが現象として有用であることをよく知っている。僕も彼の助けになれればと思うのだけれど、僕の言葉には彼を欺くだけのそれっぽさに欠けていると思います。単にわかりづらいだけかもだけど。

 ボイトレの動画をwebに上げようと思い大学に行ったのですが、どうやらYouTubeへのアップロードがブロックされているようです。自宅の回線は遅いし、大学公認サークルの用件なのだから大学の回線(圧倒的に速い)を使っても別に良いだろと思っていたのですがそうでもなかったらしい。その辺の規約ってどうなっているのだろう。あんまりよい心がけでなかったことは認める。

 夜は高校の友人gとお寿司を食べて彼の家で話をしました。知能の話とか、コミュニケーションやら数学やらの話とか。HHKBキーボードを使わせてもらったところ本当に打鍵感が素晴らしかったのでちょっと欲しくなりました。でも2万円は高いよなあ(そう感じるうちは買わなくて良い気もする)。彼のうちから順列都市を借りてきたので読みます。うまく読めるかしら。