Redundanz

僕の言葉は、人と話をするためにあるんじゃない。

自由論感想その2

 睡眠不足が祟ったのか体調が悪いのだけれど、自由論に関して大きな誤解をしていることに気付いたので書く。僕はミルの自由論はほとんど理想論であり、また社会的な良さ、幸福を如何に計量するかということがまったく書かれていないことについて不満を持っていた。それゆえ、ミルの言う社会的発展はディストピア一直線だと考えていたのだけれど、自分のそうした見解が実は、彼の言う自由によって保証されている意見の一つにすぎないことを決定的に見落としていたことについ先程気づいたのである。ミルは幸福をいかにして計量するかという問題については、意図的に答えていないのだ。なぜなら、もしそういった概念が必要であるなら、社会の発展において自ずと発明されるだろうからである。その他あらゆる具体的な社会的意見についても同様である。彼は原理を示したのみであって、意見を述べたわけではない。よりメタな視点から社会を眺めていたのである。
 ミルはこのような手法を取ることによって、一切の具体的な社会的真理に関する言及を避けることに成功している。したがって本書は、自己の無謬性を仮定することなく、一段高いところから社会と自由を規定する。何が真理であるか、社会の幸福をどのように基礎づけるかはわからない。しかし、社会が進歩するにあたっていずれは実現されるであろう、それ故、我々は社会が進歩する条件のみをひとまず扱っておけば良い、というわけである。
 そう考えれば、なぜミルが自由の原則をもっとも重要なものとして取り上げたのかも明らかであろう。社会の主体は、それぞれの人間である、ということである。それ故、社会全体を活気づけ、人々の精神的成長を促すものとして、自由とそれに付随する諸要素を奨励したのであった。