Redundanz

僕の言葉は、人と話をするためにあるんじゃない。

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 ノートの下に大きな紙を敷いておいて、頭が回りすぎて手が付けられなくなったらそこに考えごとを書き出して落ち着く、というライフハックを考案しました。それなりに機能しています。やるべきことが大きすぎてどこから手を出したものか分からず途方に暮れるという状況にもそれなりに有効。そのまま落書きに移行しちゃうこともあるけれど。

 大学に行って講義を受けました。哲学科のいくつかの講義に対して、哲学文献を題材にした語学の授業以上のものではないという印象を拭えなくなってきています。この解釈が正しいだのそうでないだの、不毛な議論を続けているようにしか思えない。原典に触れることにはたぶん一定の価値があります。それが頭を鍛えたり、かつての偉大な人間の思想に触れることで、現在の自分の認識を再考するきっかけを得るということはもちろんありうる。それは認めるんだけれども、やっぱり何かが逆転してしまっている気がしてならないのです。もしかするとこれは、大学制度と哲学の折り合いが悪いということなのかもしれない。

 暇な時間にまた安田講堂前のベンチでのんびりしつつ100人の囚人と50個の箱問題を考えていたらようやく解けました。うれしい。

 5限は例の「共に生きる知恵」の授業。格差社会共生というテーマで先生が50分ほど話した後(国民総中流の風潮は今後日本は発展してゆくだろうという明るい展望と相補的な関係にあったという話は少し面白いと思いました)、グループを作って話し合い。格差の概念には多様な意味合いがあるので、一概に言うのはむつかしいのだけれど、まず共生という観点から見るならば、格差は小さいに越したことはないよね、という話になりました(そういえば他のグループは階層による役割分担の考えを提示していて対極的だったな)。それから、社会階層が流動的であることと、最低限度が保証されていること。加えて、経済面とは別に、精神的な豊かさの話。だいたいそんな感じで意見がまとまりました。確かに正しい意見だと思います。実現できたら、それは素晴らしいことです。でもそれが実現されるためには、世界がずっとずっと豊かである必要があるよね、と思うのです。でも今の技術力と地球の大きさでは、そんなことはどだい無理な話でしょう。じゃあどうしたらいいのか、というと僕にはちっともわかりません。人間を適切に減らす、とか、教育によって人を賢くする、とか?教育は一つ大事な要素かも知れない。先生が言っていたけれども、他者を相対化して、社会全体の問題を認識しそこに共感(?)する想像力が世界をより良いものにするのだと。ここでいう想像力っていうのは単にアフリカの子供の不幸に心を痛めるとかいう想像力ではなくって、例えば社会的ジレンマの状態にあるときに、自己の利益を最大化しないことを選択するような想像力だと僕は認識しています。そういう感覚を万人が持てば、社会はずっと安定するはずです、たぶん。でも、そんな風に人を教育(あるいは洗脳)出来るのかしら。そんな言説に人が耳を貸すのは、それなりに豊かな場合だけなんじゃなかろうか。鶏と卵の話みたいです。世界が豊かになるために、世界が豊かである必要がある、なんて。どうしたらいいのかな。一介の学生の戯言にすぎないんだけれど、例えば、一度人間は十分に減るといいのかもしれませんね。高い知性と豊かな心を維持したまま、減るのです。そうして、もう一度、徹底的な制御と教育のもと、少しずつ増えてゆくのです。うまくいくかは知らないけど。少なくともそういうお話は書けるかもしれない。
 こういうことを考えるとき、いったい僕はどういう立場に立っているのか、時折見失います。僕の幸福か、いつか現れてくる社会集団の幸福か。今の僕は今の社会が自分の力ではどうしようもないと感じているから、自分の利益を最大化することに躊躇いはありません。(それが真に利益になるならば)自分のために1億人が死んでもいいと思っています。同時に、そこまで大きな成功を求めているわけでもない。清潔な居住空間と、ライブラリへのアクセス権限があれば、きっとそれで満足だと思います(本当はこれもすごい贅沢なのかもしれないけど)。社会学の教説の上では貧しさに換算されてしまう生活であれ、僕は僕が満足していれば満足である、ということ自体は揺るがない。もちろん、沢山のお金を持っていれば、違う満足の形が立ち現れてくることだってあるでしょう。その機会が奪われることを不幸だと思う人もあるかも知れない。そういう考えに賛同する自分だっています。人類に報復したい気持ちというやつです。出来るならば多少の鬱憤は晴らしたい。
 なんか面倒くさくなってきました。明日1限あるのに、こんな意味のない文章を書いていても仕方がない。気持ち悪くて恥ずべき内面を提示してしまった気もする。まあこれは日記だからそういう為のものなんだけれども。
 いろんな事をぐるぐる考えていますがだいたい堂々めぐりです。幸福は自己言及的です。うーん、だからなのかな。人生にままならないものが欲しいと思うのは。(真賀田四季博士みたい)