Redundanz

僕の言葉は、人と話をするためにあるんじゃない。

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 計算量理論の試験。昨日たっぷり時間を取って勉強をするつもりだったのですが、カフェインを取り過ぎたのか嫌な焦燥感に襲われて、まともに勉強できるようになったのは深夜になってからでした。仕方がないので、徹夜して頭に詰め込みます。相変わらず計画性がない。けれどもいろいろと練習している成果かしらん、1,2年生の頃よりも記憶力そのものがそれなりに向上しているので、以前のようにどうしようもないという感じではありませんでした。理解したぶんは頭に入っているし、必要があれば思い出すことが出来る。ただ、必要十分な説明を構成することに関してはまだ全然練習が足りていないぽくて、というのも、自分の説明がわかりやすいか否か判定してもらえる機会がほとんどないからなのですが、自分の書いた解答がどの程度自分の理解の度合いを示すものとして通用するかはわかりません。単位は来たと思うけれど、あんまり良い評価は得られない気がする。時間の関係で記述が簡単になりすぎたことと、それから情報科学の基礎的な知識が足りていないのもマイナス。
 とくに試験について、自分の悪筆が自分の思考に悪い影響を与えているのではないか、ということを考えました。なんというのだろう、字が汚いと、その上で行われる思考の丁寧さみたいなものが崩れ去ってしまうような。特に注意せずとも素早く綺麗な文字が書けるようになりたいものです。筋力の足らなさがボトルネックになっているっぽいので、ひとまず手首や握力を鍛えてみようかしら。

 僕はあんまり道具を整理しておくことに興味が無いみたいで、それは実生活でも思考の上でもそうなのですが、必要になったら持ってきたり調べたりすればいいよねというスタンスで生きています。こういうやり方は、道具の輪郭を捉え必要に応じてそれを工夫して用いる能力さえきちんと持っていればそれなりに有効で、特に具体的なものづくりなんかでは役に立つ。逆に試験勉強みたいなものにはちっとも向かないのですが、この頃はまあそれでいいのかなという気がしています。インターネットには情報があふれていて、いつでも検索することができるし、本を参照すればもう少し詳しく丁寧な解説だって載っている。必要になればそこに立ち戻れば良い。もちろん複雑な概念を理解するためには、同時に複数の知識を動員せねばならないから、ある程度それらを整理する働きは必要になってくるけれど、部分部分の整合性をきちんと確認しつつ、全体に対して定性的な説明ができていれば、それで十分なように思うし、それにそうする過程でどうしても必要な知識は頭に残ってくれるでしょう。まあ、要は問題を沢山解きましょうということよね。当たり前のところに戻ってきた気がする。