Redundanz

僕の言葉は、人と話をするためにあるんじゃない。

0302

 昨日はサークルの4年生追い出し会に行って歌ったり飲んだりしていました。久しぶりにお酒を飲んだせいかすぐに酔ってしまって帰ったらそのまま就寝。昔は何がどうなっているのかよく分からなくて、ただただ困惑してばかりだったサークルだけれど、最近ようやく雰囲気に溶け込めるようになってきたように思います。単に自分がそう思い込んでいるだけとか、あるいは自分の精神をうまく扱えるようになってきて困惑の感情を抑えられるようになっただけということもあるかもしれないけれど、でもコミュニケイションってそういうことなのかもしれないとも思うのです。お互いがお互いを誤解しながら、好き勝手しゃべりつつ、なんとなく場のエネルギィと自分という生物体の相互作用に身を任せること。あまり美しい生き様ではないけれどね。

 自分は起こりうることを起こしているのに過ぎない、という気持ちがいよいよ強くなってきました。人生は、かりに答えがあるとすれば総当りで解かれうる暗号に対して、上手い解き方を探すようなものであって、そうした上手い解き方だってあるとすれば総当りで見つかりうる(もちろん総当りにかかる時間が宇宙の寿命を超えることもあるだろう)。インターネットを見ていると、新規性にこだわり、それを人生における自分の価値とみなしている人が沢山いるけれど、その新規性だって人類に対して新規なのであって、別に宇宙の可能性としてなかったものを創造しているわけではあるまい、と思ってしまうのです。僕は人に褒められるために生きているんじゃないって、少なくとも僕の理性は言う。そんなのはつまらない、矮小な生き方だと言う。でも、それを捨ててしまって生きる仕方が、いくら考えてもわからない。僕は何をして生きればよいのだろう。辛うじて希望が残されているのは、自分がどこまで考えることが出来るのか、その思考というものに許された領域に輪郭線を引くことだけです。カントやウィトゲンシュタインが考えたこと。僕は行き止まりまでゆけるだろうか。それが本当の行き止まりであると示せるだろうか。

 ニューラルネットについて、予測可能なものとそうでないものとを判別する画期的なアイディアを思いついた気がしたのですが、なかなかうまくゆきません。ううむ。

 髪を切りました。ちょっと最近面倒臭がって切っていなかったので、2ヶ月ぶりくらいです。すっきりなったので満足。

 夕方からバイト。ちょっとだけ世界を救いましたが、少しばかりミスもやってしまってプラスマイナスゼロという感じ。

 明日はいよいよ自動車学校へゆきます。適性検査で落とされないよう頑張らなくては(半分冗談)。