Redundanz

僕の言葉は、人と話をするためにあるんじゃない。

0404

 疲れに疲れています。自動車の運転は本当に神経を使う。体調も良くないし。

 人生に意味がないことそのものは、割とどうでもよいことです。ここでの意味とは、人によっては社会的な価値であったり自分にとっての自分の価値(いわば人生を楽しもうという思想です)であったりするのでしょうが、そんなのはけっきょく気分の問題なのであって、そういう気持ちを抱けないことが直接絶望に繋がるわけではないし、逆にそういった意味を自分の中に見出しているからといって人生に色がついて見えるということでもない。色は見るものと見られるものとの関係の中に現れてくる別階層の住人なのだ。本当にどうしようもないと感じるのは、自分はいつだって生きるのをやめられるってことです。うまく表現できないけれど、このことは自分が生きているということをあらゆる意味で毀損しうると思う。それは自分を「生まれることすらなかった」ものにすると思う。私というフィクションを土台から無に帰してしまうものだと思う。なぜだか、そう感じるのです。嘘かも。