Redundanz

僕の言葉は、人と話をするためにあるんじゃない。

0625

 心と世界ゼミ。僕が問題に答える番だったのでちょっと緊張したけれどあんまり問題なく。ただ口が滑って蛇足っぽいこと言ってしまったのはよくなかったと思う。反省しなくてはなりません。
 ゼミで悪目立ちしているせいか一人の院生に話しかけられて自然主義とか自由のことについて少しばかり議論をしました。彼は今まさに自由意志の問題を主題として扱っているようです。僕の自由観のことを説明したところ「それで満足できる?」と聞かれて、ああこれに不満を抱く人もいるのか、と思うなど。僕はかなり満足しているのだけれどな。

 その人に勧められたジョン・サールの「MIND」を書籍部で購入。ランダムネスは我々の言う自由とは関係がないという僕寄りの記述を見つけておおーとなったりもしましたが全体としてなんとなく違和感があります。なんというか、これは西洋の哲学者の常なのだけれど、人間というものを過大に評価するあまり大切なものが見えなくなっているように思う。彼らは人間一般に心を認めようとするのだけれど、それこそが重要な不可能性を見えなくするのだ。彼らはある種の断絶に気づかないままそこに足を取られて奈落へと落ち込んでゆく。世界を最も慎重に把握しその断絶の手前で立ち止まることが出来るのは、ある種類の独我論者、実在論独我論の一致を主張するような独我論者である、とか。