Redundanz

僕の言葉は、人と話をするためにあるんじゃない。

0830

 絶対的な倫理の存在を主張する人は、倫理が"見えて"いるか、あるいは絶対者の存在を信じているのに違いない。そうでなければいったいどういう心情でもってそのような主張が可能だろう。
 倫理に本質がないならば、つまり倫理がひとつの言葉にすぎないならば、倫理的な振る舞いとは、倫理という言葉が妥当するように振る舞うか、あるいは自分の振る舞いは倫理的であると主張しそれを認めさせることだということになる。規範的であるためには、人は周囲の言葉遣いに盲従するか、あるいは自分の言葉遣いを周囲に感染させねばならないのである。

 自動車学校にゆきました。これで第一段階の学科は終わりです。後は効果測定とかいうのを受けてみきわめ。ふぇー。