大学へ行って書類を出し、それからバイト。chainerの関数を書くなどしました。自分の作ったものが動いているのを見るのは幸福です。いつかはそれにも飽きてしまうんだろうか。
「真実はいつもひとつ」というのは社会的な取り決めみたいなものだと思う。
その現象がある確率分布に従っているというよりも、ある確率分布に従うような何かをひとつの現象として認識できる、と言ってみたとして。
われわれの概念的モデルがものごとを予測できることについて何か妙な感覚を抱いていたのですが、よく考えるとそれはたいして奇妙な事態ではなく、現象を四次元的構造と見なせば部分を見て全体を推測するのと大して違いはないということに気がついた。
言語が世界を記述しうるのは、言語によって記述しうるようなものが僕らにとっての世界だからだ、というような。