Redundanz

僕の言葉は、人と話をするためにあるんじゃない。

0917

 自分の気持ちというのもまた一つの言語ゲームである。気持ちに実体などない。生活の各場面において気持ちとして扱われる"表現"こそが気持ちの実態なのであって、その背後に本当の気持ちが控えているというわけではないのである。我々が自分自身を観察したとき、自身の行為や情動の背景に推察される「本質」という幻想が、自分の気持ちの正体だ。それは実在しない、ただ見出されているもの、ただそう書けただけのものにすぎない。自分の気持ちを知るということは、つまり内観とは、自分を(ある意味他人事のように)解釈することだ。そしてその解釈が「自分の気持ち」として機能する条件とは、それが自分の気持であると言ってみて(自身も含めて)誰も違和感を覚えないこと、ただそれだけである。脳の内部でどのような計算が行われているかなどはとくに関係がない。摩擦なく気持ちの言語ゲームに参加できていること、それだけが気持ちが気持ちであるための条件なのである。ただしそのゲームに参加するためには、ゲームに適応的なかたちで自分を解釈するためには、一定の訓練が必要である。それをきちんと修了しないと「自分の気持ちがわからない」ということになってしまう。何を書く”べき”かを知らないうちは読書感想文をうまく書けないのと同じく、自分の気持ちを表現する仕方を知らないうちは、そもそも自分に「気持ち」などないのだ。

 だから「本物のエゴ」というのも結局、そのようにみえるものという以上のものではなく、偽物のエゴとの間に境界線を引けるようなものではないということになる。前に書いたけれども、「好きにしろ」というのは「好きにしているふうに行為せよ」という規範の押しつけなのだ。で、この「主体性」という規範は、これはただの想像なんだけどたぶん人類の身体的構造とか人類黎明期の集団の形態とかに適応的な行動規範なんだと思う。それがここまで複雑になってしまった人類社会において通用するかというと、ちょっと疑問だ。サリンジャーの言うようにたしかに今の世界はいやらしいかもしれないけれども、でも誰もが「主体的」に行動するようになったら、地球はもたないかもしれない。みみっちくていやらしい最適化が、肥大した社会をなんとか持ちこたえさせているのかもしれない。僕の美的感覚に従えば、そうまでして世界に維持される必要はあるのか、いっそこのあたりで潔く散っておくべきなのではという気分にもなるのだけれど、これもただ主観的な美意識の問題にすぎない。たんに僕が社会のいやらしさを美的なものとして感じられるようなればそれで済む話である。じっさい多くの人たちは、僕がつまらないもの、いやらしいものと感じる物事のあり方を、素晴らしいものとして扱っている。その間に優劣などない。むしろ社会進化の過程を考えれば、彼らのほうが僕よりずっと進歩的な人間だとも言えるのである。僕も進歩すべきなのだろうか。しかしどうやって?


 理解とは、与えられた感覚入力に対して適当な行動を決定できるよう、世界の構造を推定することだと思う。しかし一般にその推定はきわめて困難であって、その困難への一つの対処法が言語である、と思う。たぶん生物は外界が単純な確率分布の混合でできていると仮定していて(あるいはそれが”単純”の意味である)、そこで外界を理解することはその要素となる成分を抜き出すことになるわけだけれども、それには計算量的な限界がある。だから動物は危険な外敵や美味しい食料を見出すことはできても、宇宙の原理や自己の本質に思いを馳せたりはしない。というのも彼らにとってそれらはノイズでしかないのだ。一方で人類は、あるときは単純なものとして扱った分布をさらに要素に分解したり、あるいは複合的な分布をより単純なものとみなしてより複雑なものを考えたりする。それが可能になっているのは、言語がある意味で「フラット」であることによる、と思う。音の連なりや視覚的記号として考えたとき、「宇宙」も「ねこ」も同じくひとつの単語なのであって、そこにおいて宇宙とねこは対等である。一度言葉にしてしまうことで、スケールの問題を無視してしまうことができるし、ある領域で用いた方法を別の領域に転移することも容易になるのだ。たぶん動物にはこういうことはできない。という妄想。(参考:http://mogami.in.coocan.jp/diary/d0811.html#271


理不尽にやると上手くいく - レジデント初期研修用資料

 社会の信頼性が上がれば上がるほどギリギリのラインを攻めることが容易になるという指摘を読んで「たしかに」と思った。エゴの話とも通じるかもしれない。


 MSCOCOは結局AP=0.13くらいしか出なかったのでsubmitを諦めた。敗因としては、1.指定された評価方法でモデルを評価してみるのが遅れた、2.大規模NNの学習経験不足、3.一般的なアルゴリズムに対する知識不足、4.細部が雑だった、5.先行研究の把握が足りてない、6.計算力不足、などが挙げられると思う。生成されたinstance maskの見た目はまあまあだったんだけれどね。ちょっと悔しい。

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 らくがき。屋久島に行きたい気持ちがある。

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