Redundanz

僕の言葉は、人と話をするためにあるんじゃない。

0926

 最近また鬱っぽくなっている気がする。突発的な面倒事にまったくと言っていいほど対処できない。不調の影響を最も受けにくいのがルーチンワークであるためなかなか気付かなかったけれども、これはなんらかの対処を考えたほうが良さそうだ。ぐえー。

 自分の文章表現に限界を感じて、ヒント探しにフラニーとズーイを少し再読した。よくもまあこんなにポンポンと比喩が浮かぶものだと感動する。そりゃあ修辞には凄い労力が払われているんだろうけれども、それにしても。「望遠鏡の反対側から覗いているような」とかね。今の僕には絶対に書けないと思う。ただ少し気付いたこともあって、たとえば「~なもの・こと」という文のもの・こと部分は隠喩ポイントなのかな、とか。一度時間をつくって念入りに研究してみたいと思う。

 そうだ、「研究」というのが出来るようになりたいと思っているのだった。自分で言うのもなんだけれど、僕は観察や洞察はちょっとうまい方だと思う。つまり思考における一歩の飛距離はそれなりにあるんだけれども、しかし向きや距離を修正しながらまっすぐ歩くことは不得手なのである。まずは自分のその一歩を詳しく分析できるようにならねばと思う。いまの自分は「違和感がある/ない」くらいでしか物事や思考を評価できていない。直交するチェックポイントを複数持つ必要がある。

 そろそろ履修を考えねばと思ってインターネットで学事日程を確認したら「履修登録期間:9月中旬」と書かれていて肝を冷やした。これまでは授業が開始してから履修登録が行われていたし、他学科の日程を見てもそんな感じで、そもそも具体的な日付がそこには書かれていなかったから、たぶん何かの間違いだろうと思って本郷まで掲示板を見に行くとやっぱり29日からだった。心臓に悪いのでこういうのやめて欲しい。そもそもうちの大学はweb周りの整備がかなり遅れていると思う。なにが足を引っ張っているのかいまいちよくわからないのだが、体質的なものなんだろうか。それともやっぱ予算の問題かしら。

 久しぶりに安田講堂横のクスノキの下でぼんやりした。僕の精神は場所と強く結びついているようで、ここに来るといつも穏やかで透明な気持ちになれる。こういう場所をもっと作りたいのだけれど、条件を満たすところは少ない。とくにその場所に行くために余計な気構えが要るようではダメなのである。自宅や大学、バイト先といった生活空間から、一歩脇道に逸れるくらいの気持ちで気軽に訪れることができる場所でなくてはならない。そういう空間はきわめて貴重である。

 自分は人に比べて聴覚記憶が弱いような気がしている。記憶の中を探しても、ほとんど音声的な記憶がない。いや、メロディや声質に対する記憶力はかなり良い方なので、これは音声言語の記憶に限った問題である。ちょっと不思議。ある種の時系列データを上手く学習できてないんだと思うけど、それは何故なのやら。小さい頃からやっていた音楽にその辺の能力を全部持っていかれたのかしらん。それにしては音楽的センスは鈍いんだけど。