Redundanz

僕の言葉は、人と話をするためにあるんじゃない。

0110

 世界は本のようなもので、そこには喜びと悲しみ、信仰と懐疑、自由と必然、その他ありとあらゆるものが書かれているけれども、しかしこの本には読み手が欠けている。未だかつて世界を読んだ者はいないし、これからも決して現れない。閉じ込められた文字たちの叫びは、紙面に傷一つ付けられやしない。

 バイト帰りに『これからのウィトゲンシュタイン』という本を立ち読みした。水本氏の「ウィトゲンシュタインゲーデル: 対話編」を一通り読む。毎度のことながら彼の書き方は少々ウィト氏に好意的すぎるきらいがあって、読んでいてなんだかこっ恥ずかしい気持ちになるのだが、まあ言っていることはよく分かる。ただ数学基礎論の素養があまりないので数学的な議論はよく理解できなかった。ちょっと寂しい気もするので勉強してみようかなと思う。たぶんしないんだろうけれど。僕は極端な道具主義者、われわれがそのような道具を獲得することもまた自然史の一部に過ぎないと考えるような道具主義者であって、それ自体のために何かを勉強しようという気にはなかなかなれない。それは僕にとっては乗りもしないのに車の免許を取るようなものである。