Redundanz

僕の言葉は、人と話をするためにあるんじゃない。

0622

 上手に言葉の出てこない日が続きます。違うな、言葉自体は出てくるのだけれど、吐き出した言葉を意識する力が減っていて、それで自分の言葉の信頼性を担保できない日が続いているというのが正しい。言語野がクーラーのない真夏の教室みたいに淀んでいる。なにもする気が起きず、ただ汗ばむ陽気に耐えている。ぼんやり。解像度の低さ。

 怯えと苛立ちに満ちた小心者の倫理たちにうんざりしている。そういうものが自分の中にいまだ在ることにも。正当化を意図した一切の言説を取り下げて、自分の好みと自然さとをそのままに引き受けて生きていきたい。

「単純な〔分割され得ない〕『私』は、直観でもなければ概念でもなくて、意識の単なる形式にすぎない」(「純理」第一版・382)「私が、私自身についてもつところの認識は、あるがままの『私』の認識ではなくて、私が私自身に現れるままの『私』の認識である、従って自己の意識は、自己の認識ではない」(「純理」・158)