Redundanz

僕の言葉は、人と話をするためにあるんじゃない。

0625

 普遍的な意味での〈知性〉というものがあって、それが自然を理解しようとして数学的構造を見出したとするならば、この世界は〈自然法則〉によってできているといえるかもしれない。けれども生命と知性がひとつのアトラクタに過ぎないのであれば、それによって見出された構造もたんなるアトラクタに過ぎない。知性が自然に構造を見出したという代わりに、自然にこのような構造を見出したものが生命や知性であったということが可能であり、これら両表現は相補的であって、そうした関係の全体を、僕は「生活」と呼びたい。円城塔がBoy's Surfaceで「知性と真理の共進化」みたいなこと言ってたけど、たぶんそんな気持ち。

 心の倉庫にうず高く積まれそのままにされていたさまざまな経験たちが、統一的に解釈されなおしてゆく感覚がある。あるべき記憶があるべき場所に配置され、統合されて、ひとつの全体へと編み込まれていく。自明から非自明へ、非自明から自明へ、集合と拡散が平衡点に安定し、均質な焔が身体を駆動する。なんでもわかる気がするし、なにもわからなくていいとも思う。どっちだって同じだけど、だけど私はここにいる。そんな感じ。