Redundanz

僕の言葉は、人と話をするためにあるんじゃない。

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 自分が見ているものが一体何であるのかを見るために私は努力してきた。(C.S.Peirce)

 コンピュータシミュレーションはつまるところ外挿である、ということにふと気がついた。われわれの認識の粒度においてほとんど確定的であるとみなせる事実をデータとしてモデルをつくり、データポイントの外側を推定する。推定精度が高ければシミュレーション結果は現実に近いものとなるだろうし、低ければモデルは修正を迫られるだろう。でこれはシミュレーションに限った話ではなくて、われわれの科学的営み全体に言えることであると思う。仮説演繹法というのはそういう話だ。と書くとひどく自明なことを言ったように思えてくるのだけれど、ここで主張したいのは、ええとなんと言えばいいのかな、この推定プロセスにおいてモデルが〈現実〉と一致するかどうかはそもそも問題にならない、ということだ。真の分布なんて計算できなくてもいいってこと。うーん、うまく言えていない気がする。そもそもこれは僕の認知枠組みに生じたちょっとしたインパルスの話であって結局感情の問題にすぎないのである。にゃお。しかしそういう視点から人類の知的営み全体の汎化誤差みたいなものを計算してみようとした人っているんだろうか。ねえ、僕らの心はどのくらい宇宙そのものに近い?