Redundanz

僕の言葉は、人と話をするためにあるんじゃない。

0715

 「練習」によって出来ないことが出来るようになるという経験を、僕は最近までしたことがなかった。出来ることは最初から出来たし、出来ないことはいつまでも出来ないままだった。それは僕が練習という行為について間違った認識を持っていたからなのだということが、近頃ようやく分かってきた。練習とは、ただ動作を身体に覚え込ませることではない。新しい認知を育てることなのだ。理想的な動作から逸脱しているときに、それを違和感として対象化できるだけの認知能力を獲得して初めて、その動作を「覚える」ことが出来るのである。以来ヴァイオリンが少しだけ巧くなった。理想的な姿勢を覚えることが出来たし、自分の出力しているメロディを正確に認識し理想的なそれからのズレを感知できるようになった。僕にもまだ多少の進歩する余地がある。