Redundanz

僕の言葉は、人と話をするためにあるんじゃない。

0228

 現実を歪めたり覆い隠したりするような言説をユーモアとは呼びたくない気持ちがあります。ユーモアは知性を明晰にするものであってほしいと思う。まあでも歪みのない現実など幻想なわけで、これはただ自分の狭量さの表出に過ぎないのかもしれない。

 言葉にするとなにもかも他人事になってしまう。つねに自分事として語れる人のことを詩人と呼ぶのかもしれない。僕は詩人になりたい。

 一見複雑に見える物事でも、適当に要素を「発明」してやると驚くほど見通しよく記述できる場合がある。発明した要素を一つのゲシュタルトとして認知できるようなるまでには少し時間がかかるが、一度手に馴染んでしまえば、かつての自分は何故あんなに複雑に考えていたのだろうと馬鹿らしくなるもので、その落差が僕はわりと好きだ。なにかを明らかにするためというよりも、自分の世界をよりシンプルに記述できる記法を求めて、僕はものを考える。そしてその記法が(僕の認識できる範囲で)正しく機能することを確かめるために、手を動かしてみるのだ。