Redundanz

僕の言葉は、人と話をするためにあるんじゃない。

0413

 今日は久しぶりにかなり集中して仕事(といっても半分遊びみたいなものだが)をした。しばらく前に個人的に興味深く思われるアイディアを実現した Deep Learning の論文が出ていたので、その再現実装。微分可能なレンダリングを介して三次元空間のニューラルな表現を学習するという系統のもので、生まれて初めてレンダラー紛いのものを書いてみたが、この辺の幾何学計算はこれまでにもさんざんやってきたので、案外すんなりと書きあがった。学習はそこそこ順調に進んでおり、明日には結果が見られるだろう。

 現実世界を理解するということは、それを足掛かりとして行動決定できるような良い表現を獲得することだ。例えば LIDAR で空間を点群化すれば、障害物にぶつからないようにロボットを動かすことができる。その意味で、点群は現実理解の一つの形である。この手の三次元空間の表現方法としては、ほかにもメッシュとかボクセルとかあるわけだが、これらはどうにも使い勝手が悪いと僕は感じてきた。というのも、これらを行動計画に役立てるためには、さらにもう一段階処理を挟まねばならない場合が多いからだ。例えば点群は連続な世界の上の孤立した点の集まりに過ぎないので、これを用いてここから「壁」までの距離を測ろうと思えば、点と点の間に意味的な連関を与えねばならないし、また内挿せねばならない。これが思いのほか面倒くさい。ならばそうした意味的連関をはじめから内包する連続な表現を得ることを考えよう、というのは自然な発想で、その表現にニューラルネットを用いた研究が昨年あたりからいろいろ出てきている。現状ではまだまだ問題含みだが、これからかなり有望な方向性なのではないかと思っている。

 Chainer の開発が終了したのでしぶしぶ PyTorch を使っている。使ってみると思いのほか便利な道具立てが揃っていて感心したりもするのだが、裏を返せばそれが概念的統一感を損ねている観があり、あまり肌には合わないなあと思う。PFN の人たちの知的潔癖さ的なものが僕は好きだったのだが、世間的にはそうでもなかったということで、残念なことだと思う。


 相変わらず自分が何をしたいのかよくわからないなと思った。とくに情熱を感じる対象があるわけでもないし、強い理想があるわけでもない。かといって「趣味」に生きることを自分に許せる感じでもない。淡々と過ぎてゆく時間。無意味はかつてのように自分を傷つけることはないが、しかし背中を押してくれもしない。自分の機能を適当に切り売りして日銭を稼ぎ生きている。こんなのでいいんだろうか。小さい頃はもっと素朴に何かを好きでいることができていた気がするのだけれど。

 自発的な思考だけはやめないようにしよう。これはしたいことというより、最低条件。