Redundanz

僕の言葉は、人と話をするためにあるんじゃない。

0706

 数式の構文論?について考えていた。f(x)=2x+3 という関数定義をプログラミング言語的に捉えると、 x は argument ぽく見える。とすると、この x は f の定義の外側では意味を持たないはずで、それならたとえば「関数 f を x で微分する」という表現はナンセンスなのではないか、みたいなことを思ったのだ。「関数 f(x)」と書くことで x の関数であることを明示することができるのだ、と考えてみたが、それだと f(1) のように具体的な値を入力する場合と f(x) とで括弧がまったく別の働きをしていることになり、気持ち悪い。f_x(1) などと書いてみて、引数 1 と x のつながりがもはや存在しない。また x はグローバルに定義されているのだと考えてみても、今度は括弧が不要になってしまう。で、思いついたのは f(x)=2x+3 を f(u)=2u+3 と x(v)=v の合成関数だとみなしてみることである。つまり f(x)=2x+3 と定義したときの x は実は別の u であって、「関数 f(x) を x で微分する」というときの f(x) は2つの関数 f, x を合成したものを指している、と解釈する。こうすると f(1) と f(x) で同じ意味で括弧を使いつつ、 f を何で微分するかも明示できている。明示というか、微分するときの拠り所となる構造を x という形で埋め込んでいるイメージ。数学的に正しいのかわからないけど、とりあえずこのように考えておくことにする。

 Wikipedia の「解析学」のページのよれば、イギリスでは数学者が分かりづらいニュートンの記法にこだわったために解析学の発展が遅れたらしい。思考においてどのような記法を選ぶかは、きわめて重要な問題である。言葉やイメージなどなんらかの依り代を抜きにしてはわれわれは何も考えられない事実からも、その重要性は明らかだと思う。思考があり、それからそれを表記するに適切な記法を選ぶ、というのは順序が逆である。まず記法がある。その上でわれわれは考える。