Redundanz

僕の言葉は、人と話をするためにあるんじゃない。

0707

 昨日書いた話をいま一度整理しておく。f(x)=2x+3 と関数を定義する際の x は、 f が引数に対しどのような操作を加えるかを示すための仮の存在であって、それゆえ x を用いて関数定義を行ったからといって f が x の関数であるということにはならない。したがって「 x の関数 f(x) 」と書くときの「 (x) 」と、関数適用 f(5) の「 (5) 」はまったく別レイヤの存在に見える。しかしここで変数 x を一種の関数とみなし f(x) を合成関数とみれば、双方同じ意味で括弧 () を使っていると思うことができる、気がする(5 は恒等関数と思えばよい)。この場合に本質的なのは、定義する際に使った名前ではなく、(関数としての)変数を f に代入する順序である、ということになる。f(x, y) と f(y, x) は別物でなくてはならない。こうするとたとえば「関数 f(x) を x で微分する」という表現を、ある種のメタ視点を介在させることなく、純粋に記述されたものの上で理解できるし、 f(x) と f'(x) の x が「同じ」であることも明示できていいと思う。なんか変なことにこだわっている気がする。僕は頭が悪いんだろうか。

 人間の連想記憶はアトラクタとして実装できるという話は昔からあったと思うが、実験的にも確かめられてきたらしい*1。個人的に気になるのは、一度落っこちたアトラクタから状態を回復させるのは、いったい何の力なのだろう、ということである。僕は小さいころから、脳がある状態に落っこちてしまってそこから戻って来られなくなる、という経験をよくしていた。ほかの人たちはどうもそうではなさそうだから、自分の脳にはその回復力が欠けているのだろうと思う。回復力として一つ思い浮かぶのは、ノイズである。ADHD 者はホワイトノイズを聞くと集中力が上がるという話があって、どうやら自分もその気がある。逆に非 ADHD 者はホワイトノイズで集中力が落ちる。これは一般には、 ADHD 者は雑音をマスクする能力に欠けているからだと説明されるけれど、もしかすると、ノイズによって脳のポテンシャルが補填されるからなのではないかと思ったりした。もちろんこれは仮説なので本当かどうかは知らないが、この仮説が正しかったとして、普通の人たちはどうやっているのかが次に気になることである。脳内にノイズ生成器があるのか、それともそもそもそんなに深いアトラクタに落っこちないのか。

 同僚に確率共鳴という概念を教えてもらった。こういうの面白い。自動巻き腕時計とかと似たような話よね。(07/08追記)